イギリスの偉人

クイーンマザー、エリザベス皇太后の生涯・人柄・言葉から学ぶこと

画像:1923年結婚式(出典:https://ja.wikipedia.org)

こんにちは、主婦で偉人ライターのあんじぇりかです。好きな時代は明治維新とヨーロッパ史。
今日はクィーンマザー・エリザベス皇太后を語ります。
仕事・恋愛・人間関係などで悩める現代人「また頑張ろう!と思える」生き方・名言です。

クイーンマザーエリザベス皇太后とは

クイーンマザーは、ジョージ6世の王妃で、現エリザベス女王の母君である。
私はもしこの人がいなければ、イギリス王室は今も現存しているかと思うくらいの存在感があると思う。
それは、

  1. エドワード8世の退位後、内向的な夫ジョージ6世を支えたこと
  2. 第二次世界大戦でのイギリス国民を鼓舞する役目を果たしたこと
  3. 1990年代の孫たちの離婚、スキャンダルのさなかも国民の敬愛を失わなかったことである。

クイーンマザーの存在感が、いかにイギリス王室の存続に必要だったかを考えてみる。

クイーンマザーエリザベス皇太后の生涯と人柄

クイーンマザーの生涯

1900年8月生まれ、名門スコットランド貴族のストラスモア伯爵の10人兄弟の9番目の末娘で、
レディー・エリザベス・アンジェラ・マーガレット・ボウズ=ライアンが正式名である。
ヴィクトリア時代の末期の生まれで、日本で言えば明治末期から大正が青春時代である。
ジョージ5世の次男、アルバート王子後のジョージ6世と結婚した。
アルバート王子のプロポーズは何度も断ったが、結婚後は夫を支えつくしたのである。
スコットランド貴族の出身で、イギリス王室の王妃としては格落ちではある家柄かもしれないが、
誰もそんなことは言わないほどの存在感と業績を積んだ人ではある。

クイーンマザーの人柄

当時の社交界の人気ナンバーワンで、アルバート王子に求婚されるも、断った。

アルバート王子の母メアリー王妃の、息子を幸せに出来るのはあなたしかいないという説得にも、うんと言わず、アルバート王子の再度のプロポーズでやっと承諾したのであった。

クィーンマザーは、アルバートへの愛情はあるが、王室入りを躊躇していたのかもしれない。
ふたりは結婚後、2人の娘を得て幸せに暮らしたが、兄のエドワード8世が離婚経験のあるシンプソン夫人との結婚が許されず、退位したことで国王夫妻になったのである。

小柄でにこにこと微笑が印象的なクイーンマザーは、内向的な夫ジョージ6世を支えて、エドワード8世の退位後のイギリス王室と第二次世界大戦という大きな出来事を乗り越えて行ったのである。

また戦後すぐにジョージ6世が亡くなり、娘のエリザベス女王が即位すると、孫たちを可愛がり、王室メンバーとして積極的に公式行事を多くこなし、国民の絶大な人気を誇っていた。

そして1990年代の孫たちの離婚などの王室スキャンダルの時期も、毅然としてクイーンマザーとして敬愛されていたのである。

101歳で亡くなったが、90歳代まで現役で公式行事をこなし、孫たちや曾孫たちにも影響を与え続け、名実ともに王室の中心であったのである。

クィーンマザーエリザベス皇太后の生き方・名言から学ぶこと

内気な夫を支え切る

最近は、何かあるとすぐ離婚してしまいがちだが、クィーンマザーは何度もプロポーズを断ったものの、結婚した以上はしっかりと夫を支え切ったのである。

映画「英国王のスピーチ」でもあるように、ジョージ6世は吃音症で、内向的な性格で国王になる準備が出来ていなかったと言うことだが、

クイーンマザーは吃音症の改善のためにオーストラリア人の教師を探して来て一緒に練習に立ち会い、夫を励まし続けたのである。

「子供たちは私の側を離れない、私は国王陛下の側を離れない、国王陛下はロンドンを離れない」

第二次世界大戦中にヒトラーにおそれられるほどの存在感を持っていた
戦時中にエリザベス王女とマーガレット王女を疎開させようという案があったが、クィーンマザーは

「子供たちは私の側を離れない、私は国王陛下の側を離れない、国王陛下はロンドンを離れない」

と言い、ロンドンにとどまった話は有名である。
ヒトラーはクイーンマザーのおかげでイギリス国民の士気が上がる、最もヨーロッパでおそろしい女性と恐れていたのであった。

にこにこと優しい雰囲気だが芯は強い人柄

1990年代の王室の離婚スキャンダルのときも、クィーンマザーは別格として扱われていたのである。

国民の敬愛の対象である、また公式行事やチャリティーなども多くこなしていたので、クィーンマザーが亡くなると王室の権威が失墜する
と言われたものである。

その存在感は、並大抵のものではないし、もしダイアナ妃やセーラ妃のような人が、エドワード8世の退位後や第二次世界大戦中のイギリス王室に居たら
と思うと、今のイギリス王室は存在しないかもしれないとさえ思うのである。

クイーンマザー・エリザベス皇太后の業績

クィーンマザーは、ご存命中からニュースで必ず誕生日の軍隊のパレードや民衆からのプレゼントの生中継を見ていたのだが、
小柄な中にも存在感があり、雰囲気のある女性であった。

90歳を過ぎてもハイヒール靴を履いておられると、イギリス紳士が敬意をこめてコメントしていたのを覚えている。

ひ弱な夫が国王になって寿命を縮めたことで、シンプソン夫人をずっと恨んでいたという話もあるが、今から思っても、クィーンマザーがいなかったならば、イギリス王室はどうなっていただろうかと思うほど、上手に転機を乗り切ってきたのではないか、
と考えざるを得ないのである。

戦争中、バッキンガム宮殿が爆撃されたとき、「これで貧しい地区のイーストエンドの住民に顔向けが出来る」というのも、強気の発言であるし、
ロンドンを離れずに戦争中も国民を鼓舞し続けたという功績も、かなりのものがあったのではと思う。

1990年代の王室スキャンダルのときも、イギリス国民の王室離れを食い止めるのにクィーンマザーの存在感は大きかったと思う。

今後のイギリス王室がどうなるかわからないが、将来にわたっても歴史上の人物として、クィーンマザーの業績は今よりもっと大きく評価されるのではないだろうか。

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