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ブルース・リーとは
アクション映画の概念を変えたスーパースター、ブルース・リー。
武道家であり、ジークンドー(截拳道)の創始者でもある彼は、武術が単なる格闘技術ではなく、哲学と同じ奥深い道であることを追究した。
中国武術の伝統を飛びだし、常に進化し続ける実践格闘術を求めた。
ジークンドーには、これで奥義を極めたという限界がない。
生きる限り修練は続くのだ。
その武道哲学は、まさに人生哲学ともいえるだろう。
彼の説いた、「型(スタイル)を超えることの万能性」は、
型にはまらない思考やアイディアを生みだす鍵となり、さまざまな可能性を導いてくれるはずだ。
柔軟であることの重要性について、彼はこのような言葉を残している。
- スタイルを捨てた時、あらゆるスタイルを手に入れることができる
- 鉄則を学び、鉄則を実践し、鉄則を忘れよ
- 人は考えたように変わる
では、詳しくご紹介したい。
ブルース・リーの生涯と人柄
ブルース・リーの幼少期
ブルース・リーは1940年11月27日、辰年の辰の刻にサンフランシスコで生まれた。
ヨーロッパでは前年に戦火の火蓋がきられ、アメリカにも戦雲がたれこめつつあった。
父は家族を連れて香港に戻ったが、香港もまたたく間に日本軍の占領下におかれた。
ブルースはやんちゃで、勝ち気な、頭のよい子だった。
13歳のある日、自分より小柄な少年とけんかになり、ものの見事に叩きのめされた。
相手は中国武術を習っていたのだ。
武術を学びはじめた動機について、ブルースはのちにこのように語っている。
「ぼくは不良で、自分の身を守るためにクンフーをはじめたんだよ」。
叩いた門は詠春拳の道場。
勝とう勝とうと力を入れるブルースに、師匠の葉問(イップマン)は力を抜いて相手に沿うことをおしえた。
わずか100ドルで単身渡米
18歳。
不良グループの抗争が激化し、息子の身を案じた父は、香港を離れて渡米することを勧める。
ブルースはわずか100ドルを懐に単身アメリカへ旅立つ。
シアトルでアルバイトをしながら高校卒業資格を取得し、ワシントン大学哲学科に入学。
哲学科を選んだのは、武道に重要な精神性を探求し、自身の武術の完成をめざしたためだろう。
学業のかたわら國術館を開いて武術指導をはじめたが、試練が次々とおそいかかる。
華僑社会では中国武術は秘術とされており、他民族に伝授することをよしとしなかったのだ。
武術は性別、民族、宗教、階層に隔てられてはならないと考えていたブルースは道場破りの挑戦を受けることになってしまう。
ところが決闘で対戦相手は逃げ回った。
想定外の展開にショックをうけたブルースは、それまでの持論を捨て去る。
状況の変化においては、用意した戦術が一切無効であることを悟った瞬間だった。
この一件がジークンドーの武道哲学を生むきっかけとなったのである。
そして腰の仙骨の損傷。
トレーニング中の事故だった。
医師からは、武道家として絶望的な宣告を受ける。
この頃彼が書斎のデスクに貼り、自らを奮い立たせた言葉がある。
「Walk on!(歩みをとめるな!)」
この古傷は生涯にわたり彼を苦しめた。
そして人種差別。
TVドラマや映画に出演しはじめたブルースだったが、自ら企画したドラマの主演を断られる。
東洋人であることがその理由だった。
「ぼくはこの国に本物の東洋をみせる」。
彼は差別や苦悩に屈することなく自己と向き合う努力を重ね、自分の内側の真実を実践の中に発見し続けた人だった。
ブルース・リーの生き方・名言から学ぶこと
「スタイルを捨てた時、あらゆるスタイルを手に入れることができる」
「スタイルを捨てた時、あらゆるスタイルを手に入れることができる」とはどういうことか?
あるインタビューで彼はこう発言している。
「感情を追いやり、形をなくすこと。水のようにね。水はカップに注ぐとカップの形になる。ポットに注げばポットの形になる。水は流れ、打ち砕くこともできる。水のようになりなさい」。
実戦においていかなる状況におかれても、型にとらわれることなく、最も有効な技を駆使して敵を倒す極意を説明したものだ。
日常生活やビジネスシーンでも即応力や機転、斬新なアイディアを問われる場面はあるだろう。
ひとつのやり方や考え方に固執していたのでは他の方法が入り込む余地がなくなってしまう。
「鉄則を学び、鉄則を実践し、そして鉄則を忘れる」ことの利点
武術の各流派に残る伝統の型は先人の遺産であるが、それらを会得することが最終的な目的ではないはずだ。
目の前の手段に注力するあまり本来の目的を忘れてしまっては本末転倒だろう。
重要なのはルールや規定の意味するところを理解し、それをふまえて自分を成長させながら目的を達成することなのだ。
「人は考えたように変わる」
なぜ「人は考えたように変わる」のか?
『思考は現実化する』というナポレオン・ヒルの有名な著書があるが、ほぼ同義と解釈できる。
願望を強く意識することにより、これまで目に映らなかったチャンスが見えてくるようになった経験がある。
例えば、赤い車が欲しいと強く思っている人はそうでない人より赤い車が目につく回数が多いのではないだろうか。
また、「失敗したらどうしよう」、「自分には無理だ」と思うことが行動を制限してしまう。
不安に縛りつけられるのではなく、かなえたい目標に意識をシフトさせて行動にうつすことが大切だろう。
ブルース・リーをしのぶ場所・映画・書籍
一般的には映画人として知られるブルース・リーの武道家としての顔を紹介した。
彼はまた、1999年、『タイム』誌によリ「20世紀で最も重要な・偉大な100人」に選出されている。
「截拳道」とは、相手の拳をさえぎる道という意味で、武術としての哲学を表すだけでなく、生きるうえで直面する試練を乗りこえる指針でもあるのだ。
それは流派を超えたハイブリッドな実戦武術であり、格闘のスタイルでありながらスタイルではなく、すぐれた武道哲学であるとともに人生哲学であり、なにより創始者であるブルース・リーの生きざまそのものといえるだろう。
志なかばで夭逝した彼は、今、若き日を過ごしたシアトルのレイクビュー墓地に眠る。
墓碑銘には映画人としての事績はない。
ジークンドーの理念とともに、「ジークンドーの創始者」とのみ刻まれている。
生前アクションスターとして人気を博した香港では、尖沙咀プロムナードの星光大道に銅像がある(改装工事のため2018年の年末まで星光花園に移設)。
ジークンドーの國術館はアメリカだけでなく日本各地にも支部があり、現在も多くの門下生がその教えを継承する。
最後にブルース・リーの著書を紹介したい。
『截拳道への道』ブルース・リー著(キネマ旬報社)