今回は私が大好きな映画女優ヴィヴィアンリーを語ります!
世界中を魅了した伝説の映画女優ヴィヴィアンリー。
あまりにもはまり役すぎたスカーレットは、彼女の人生そのものだった。
現代社会にも多いと言われる躁鬱病に苦しみ、常にその症状と闘い、それでも女優を貫き通した彼女のバイタリティーはすごすぎる。
彼女はあまりにもストイックに人生を生きすぎたように思う。
余裕の無さすら感じられる。
歴史人物の人生は、これが正しいとか正しくないとか一概に言えないものだとつくづく感じるが、ヴィヴィアンリーの場合特に思ってしまう。
自分というものは変えられないのだと痛感してしまう。けれどはたしてそうだろうか。
生き方や考え方は、ほんのちょっとしたことで変わってしまったりする。
人生の岐路なんて、自分が思っているよりいっぱいあるような気がする。
スカーレットに縛られ続けたヴィヴィアンリーの精神状態の助けになるものは、いったい何だったのだろう。
すべてを捨ててまで得たオリヴィエとの愛は、はたして彼女の安らぎになったのだろうか。いろいろと考えてしまう。
突然現れたスター、ヴィヴィアンリー
十代の頃から好きだった彼女が、現在の自分と同じ年に没していたとは気づかなかった。
晩年心の病に苦しんだ彼女だが、今私は更年期に苦しんでいる。何かとツライ年代なのかも。
1939年、世界を圧巻する映画が公開された。
「風と共に去りぬ」
彼女はその主役スカーレット・オハラだ。
ヴィヴィアンリーはイギリスの女優で、生まれたのはイギリス領だったインド。
定かではないが、インドの血が混じっていると言われているのにも、あのエキゾチックな顔だちの美しさを見れば納得がいく。
子供の頃から女優をめざし、初舞台からギリスでも高評価を受けていたヴィヴィアンだったが、所詮はイギリス国内でのこと。
彼女を歴史に残る圧倒的なスターにしたのは、「風と共に去りぬ」だった。
名作の映画化は何かと話題になるが、この映画は主役のスカーレット役がなかなか決まらないということで特に話題になった。
超個性的なスカーレットを演じる女優がいない。
とうとう主役が決まらないままクランクインされるという異例の事態に。
最終的に選ばれたのが、ヴィヴィアン。
みんなが待ち望んでいたスカーレットに、アメリカ国民はとまどったとか。
「誰だ?あれは」
ヴィヴィアンは神経質?
監督の見込みは正しかった。
今でも、スカーレットは彼女しかありえない。
しかし、あまりにもはまり役を演じてしまうと、その後がキツイという話をきくが、彼女もまさにそのとおり。
ヴィヴィアンリーからスカーレットオハラが拭い去れない。
もともと彼女はデリケートな神経の持ち主だったようだ。
イギリスで自分に高評価をしてくれた演劇評論家たちを、こっぴどく批判している。
「簡単にほめすぎる」と。
その期待に応じなければいけない辛さを考えろ、みたいなことを言っている。
マスコミや評論家から、その後彼女は「気まぐれ」というレッテルを貼られる。
プライベートも複雑だった。
イギリス時代にすでに結婚して子供もいたが、俳優のローレンス・オリビエと略奪愛の末、いっしょになっている。
当時の女優さんにこの手の話はありがちなのかもしれないが、激しい感情と神経質なイメージと相まって、悪くなりがちな印象が仕事にも影響を及ぼすこともしばしばだった。
もしも私が彼女と友達になれと言われたたら、絶対無理だろう。
それはスカーレットオハラと友達になれと言われるようなものだから。
スカーレットの魅力は、その美しさと共に激しい気質、自分の感情最優先で、それを押し通すためならモラルも何もない。
好きでもない男と結婚すらしてしまう。
しかしものすごく計算高い。
ヴィヴィアンリーはスカーレットオハラそのものなのだ。
感情と計算と、自分を貫くためにモラルも捨てる。
まさに”凄い女”ヴィヴィアンリーの魅力
始めて映画を見たのは10代の頃で、かなり封建的な考えの父親の元で育った私は、スカーレットの凄まじい性格と行動力のとりこになった。
男の言うことを聞いて、おとなしく生きていなければならない女とは、とんでもなく離れたところにいる。
スカーレットオハラはかっこよかったのだ。
ヴィヴィアンリーは、容姿のイメージも生き方もあまりにもスカーレットそのものだった。
私は彼女の中にスカーレットを見たのだろう。
「風と共に去りぬ」によってアカデミー主演女優賞も受賞していたヴィヴィアンは「私は映画スターではない」と言い切っている。
「嘘と偽りを演じている映画スターではありません。私は女優です。人生の全てを費やすことのできる女優です」と。
正直どこが違うのだと思ってしまうが、ヴィヴィアンリーという人生を演じた女優であったと考えれば、うなずける発言かもしれないと思う。
しかしスカーレットが持っていて、彼女が持っていなかったものは“底知れない強さ”なのだと思う。
南北戦争という特殊な状況に生きたスカーレットと比べるのはおかしいが、逆境を生き抜く強さはケタはずれだ。
ヴィヴィアンは、そのレッテルを貼られた「気まぐれ」からもわかるように、かなり周囲を振り回したような印象にもとれるが、「わがまま」とは違うと思う。
その差を言葉で表現するのはとてもむずかしいが、少なくともヴィヴィアンは人を惹きつける魅力を持っていた。
最後に立ち上がったスカーレット
自分を貫きとおした人間に待っているのは、破滅だ。
スカーレットも大切なものを失ったが、それはあくまでも物語の中の出来事であり、それでもめげずに立ちあがっていくところが「風と共に去りぬ」の素晴らしさでもある。
ヴィヴィアンは常に神経の病気と闘っていた。躁鬱の症状と発作を何度も起こし、混乱しながらの女優人生だったといっても過言ではない。
私のようないい加減な人間からすると、彼女はあまりにも真剣に生き過ぎたように見えてしまう。
「まあ、いいっか」
なんていう考え方ができた人なのかどうか。
時代が時代でもあるし、メンタルな部分でフォローできる人が周りにいたら、もっち違った人生であったかもしれないとも思う。
晩年高評価を受けた代表作「欲望という名の電車」は、その狂気に満ちた激しい設定や役柄から、演じることを心配された。
彼女の神経状態がもたないのではないかと。
しかしみごとに演じきったヴィヴィアンは、二度目のアカデミー賞を受けた。
それはまるで、絶望の中最後に立ち上がって強く生き抜くことを誓ったスカーレットそのものではないか。
最後は肺結核がもとで亡くなった。死後数十年たっても評価は高く、イギリスでは二度も記念切手になっている。
王族以外ではめずらしいことだとか。
初めて映画を見たあの日から、ヴィヴィアンリーは色あせていない。
「あの役を演じるために生まれてきた」とさえ言わしめた、「風と共に去りぬ」のスカーレットは、世界中でヴィヴィアンリーたった一人だと思っている。