イタリアの偉人

フローレンス・ナイチンゲールの人柄・名言・知られざる一面に勇気をもらう!

画像出展:Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/フローレンス・ナイチンゲール)

こんにちは。フリーランスのライターをしながら、オリジナルの小説執筆活動を行っている暮野です。創作活動において、知識のインプットは欠かせませんよね。今回は、フローレンス・ナイチンゲールがやり遂げたこと、生き方やエピソード・名言についてご紹介します。

フローレンス・ナイチンゲールとは

フローレンス・ナイチンゲールは、統計に則り、劣悪だった医療現場を改善し、当時の兵舎で42%にも及んでいた死亡率を、5%にまで下げてみせた人物だ。

ナイチンゲールは、「人生を生きるには、修練が必要です。まずまずの目的、過ち多き行為、ぐらぐらしている意志のうちに、人生をうやむやに過ごしてはなりません。」をはじめとした、名言を数多く残している。

フローレンス・ナイチンゲールの尊敬すべき点は、彼女の持っていた勇気や行動力にある。

当たり前とされていた物事から飛び出して道を切り開き、現代に至るまで続く看護の礎を築いた彼女の生涯からは、学べるものがとても多い。

フローレンス・ナイチンゲールの生涯と人柄

(1)フローレンス・ナイチンゲールの生涯

フローレンス・ナイチンゲールは、現在のイタリア、フィレンツェにて生まれた。1820年5月12日のことである。

ナイチンゲールが生まれた一家は、裕福な貴族だった。女性は、学を深めることよりも、社交界でより優雅に振る舞い、素晴らしい男性と婚姻することが何より重要視されていた中で、ナイチンゲールは、自宅の書斎を漁り、家庭教師からより多くの知識を引き出すことに貪欲で、家族からは若干疎まれ気味だった。

しかし、若い頃のナイチンゲールは、家に反発心を抱きながらも、激しく社交界を拒絶したり、ダンスを覚えることを拒否することはなかった。

しかし、とある社交界からの帰り道、馬車の中から見かけた、貧しい子どもに毛布をかけてあげた経験が、彼女の人生を一転させることになる。
みすぼらしい、ともすれば汚らしいと捉えても仕方ない、貴族からは程遠い身分の子供の姿に、ナイチンゲールは強く心を痛め、この世の中を変えてみせると立ち上がった。

簡潔に言えば、ナイチンゲールは、現在の医療の基礎でもある「消毒・殺菌」などの、「衛生状態を保つ」教えを徹底して広げ、弱った患者には胃に負担のない柔らかな野菜のスープなどを施し、汚染された水を看護に使うことはしないよう、その知識を広く知れ渡らせた女傑だ。

(2)ナイチンゲールの人柄

フローレンス・ナイチンゲールは、心優しい性格であった反面、情熱的で、勇気に満ち満ちた人物だった。

ナイチンゲールは、己にできることから着実に進めていく慎重さと、看護用具、主に清潔な包帯などが入った箱とその鍵を、なかなか彼女に渡そうとしない軍の上層部に苛立ち、目の前で箱を殴って無理やり開けた上で、「鍵ならもう要りませんね。これはいただいていきます」と持ち去る、といった、苛烈な一面を持ち合わせていた。

誰に対しても平等に、敬意を示した態度でいた為、彼女を疎む人も慕う人も多かった。
一貫した態度は、当時のエリザベス女王すら唸らせ、女王にまで協力を仰いだ計画があったほど、周りに影響を与えるものであったと言える。

フローレンス・ナイチンゲールから生き方・名言から学ぶこと

(1)看護を行う私たちは、人間とは何か、人はいかに生きるかをいつも問いただし、研鑽を積んでいく必要がある。

ナイチンゲールは、「看護を行う私たちは、人間とは何か、人はいかに生きるかをいつも問いただし、研鑽を積んでいく必要がある。」という言葉を残している。

ナイチンゲールは、当時、いやしい職業とみなされており、事実酒に溺れたり欲にまみれていた「看護師」という職業の根本を考え直し、またその考えを広く伝えるため、この言葉を説いた。

女性が軽視されている事実に胸を痛めながらも、彼女自身が先達となって、強く立ち上がったのである。

看護の基礎もなかったような、まさしくゼロの状態から、現代での医療の基礎に通じる部分まで築いた彼女の残したこの言葉は、現代人の心も強く揺さぶる。

「人間とは何か、人はいかに生きるか」とは、ナイチンゲールが劣悪な環境にあった病院のなかで出会った患者たちを多く見送りながらも看護に徹した。
何をすれば、彼らを死なせずに済むのか思い悩みながらも邁進し続けた彼女の心の内側を見ることができたような気になる。

(2)女性よ自立しなさい。自分の足で立ちなさい。

ナイチンゲールは、女性たちに向けて、「女性よ自立しなさい。自分の足で立ちなさい。」という言葉を残している。

時代が移り変わりつつあった当時、ナイチンゲールは、夫の身分や親の身分に左右される生き方を甘んじて受け入れるのではなく、自分自身の力で生きていくのです、というこの言葉を残した。

これは、新しい時代を見据えていたナイチンゲールだからこそ残せた言葉であると私は思う。
女性は男性の付属品ではない。
女性にもまた、自分で自分の体を支えられる足がある。
その足に込められる力を持っている。
そのことに気付かせられた女性はけっして少なくなく、ナイチンゲール以外にも看護の道を志す女性は多かった。

フローレンス・ナイチンゲールをしのぶ

ナイチンゲールは、価値観や時代が移ろいつつある中で、自分の軸をしっかりと持っていた、強い女性だった。
看護とは何かを新しく考え直し、己が得た看護の道の答えを、民衆にも広めたことは、彼女が真に人々を想っていたからこそできたことである。

上記では、あまり話を広められないと判断したが、私には彼女が残した言葉の中で、最も好きなものがある。
それは、「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である。」である。
ナイチンゲールは、確かに、患者にとってはあたたかなスープを出し、ランプに火を灯して様子を見守ってくれる天使のようであった。
けれど、けっしてそれだけではない。

鍵を渡そうとしない軍の上層部に向かって、箱を殴り、「これはいただいていきます」と持ち去ったエピソードからも窺える通り、ナイチンゲールは常に、何かと、あるいは誰かと戦っていた。

だからこそ、「天使のようだ」と言われたことに鼻を高くせず、「それは違う。天使とは、こういうものだ」と、上記の言葉を残したのだ。
ナイチンゲールはまさしく、苦悩する者のために戦う天使なのだ。

ナイチンゲールの教えは、今の看護学校でも伝えられているが、看護の道に携わらない一般人にも、知ってほしいと私は願う。
児童向けの伝記などは、手軽に彼女のことを知るきっかけになってくれるだろう。
是非とも手にとってみて、今度はあなた自身が、天使となってほしい。

自分の得た知識、そこから好きになった偉人を、他の人にも知ってもらう機会だと思うと胸が高鳴る気持ちで執筆しました。
ぜひこの記事が、他の人の目に触れることを願っています。

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