イタリアの偉人

レオナルド・ダ・ヴィンチは元は凡人だった?成功の秘訣は好奇心・自己改善・自己PR力

時鳥
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こんにちは。偉人ライターの時鳥です。
今回はレオナルド・ダ・ヴィンチを語ります!

 

人類史上最高の天才と名高いレオナルド・ダ・ヴィンチであるが、彼の出生は至って普通であった。

そのため、彼の天才という肩書は、生まれもったものではなく、後天性のものだったのだ。

では、一体どのようにして成功していったのだろうか?

それを知るには、まず彼の生い立ちを知り、彼の成果を知ることがポイントだ。

一般的には「モナ・リザ」を代表とする絵画のイメージが強いが、彼は絵画分野以外でも数々の功績を残しているのである。

そして、レオナルドはどのようにして成果を残していったのかを史実をもとに考察していく。

歴史上成功した偉人の考え方や手法を学ぶことは、現代のビジネスシーンにおいても大いに役立つ。

特に、レオナルドは自分自身を売り込むことに長けていた。

これは、就職活動はしかるべきことながら、営業や自己アピールの際にも活かせるだろう

今回は残念ながら導入部分の話しか出来ていないが、読者のみなさんにとってこの記事が良いきっかけとなることを願っている。

レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチとは

彼の通称は、レオナルド・ダ・ヴィンチである。

そうだ、かの有名な絵画であるモナ・リザを描いた人物であり、

世界一有名な画家であるとともに、科学の発展、強いては人類の発展に大きく貢献した天才だ。

そんな彼の生い立ちや時代背景、なぜ天才と呼ばれるようになったのか、彼から学ぶビジネスシーンでの活用のヒントを紹介していく。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生い立ち

1452年、フィレンツェ共和国(現在のイタリア)のヴィンチ村という小さな村で生まれた。

1452年といえば、古典古代の文化復興運動であるルネサンス期の真っ只中である。

天才と呼ばれるからには、すごい家系なのかというと、父は公証人、母は諸説あるが、いずれも良い身分ではない女性である。

彼の転機は、1466年、14歳の時にフィレンツェでも特に優れていることで有名な工房を主宰していたヴェロッキオに弟子入りをした。

当時のフィレンツェの支配者であるメディチ家をパトロンとする工房である。

この工房で初めて描いた作品が、師匠であるヴェロッキオのサポートとして描いた「キリストの洗礼」(ウフィッツィ美術館蔵)である。

この工房では、絵画や彫刻だけでなく、建築、化学、医療、機械工学等、様々な分野で能力を伸ばしていた。

結果、レオナルドは20歳になるまでに、親方となる資格を取得するまでになっていた。

そして、レオナルドは自分の工房を立ち上げたのである。

1478年、本格的に独立した最初の仕事として、ヴェッキオ宮殿サン・ベルナルド礼拝堂の祭壇画を受注したが、レオナルドは未完成のまま放置した。

1482年〜1499年はミラノ公国にて活躍していた。

「岩窟の聖母」や「最後の晩餐」を描いた時代である。

また、仕事は絵画だけでなく、山車やパレードの準備、ミラノ大聖堂の円屋根の設計等、多岐に渡っていた。

更に1499年に勃発した第二次イタリア戦争のためヴェネチアに避難した際は、ヴェネチアを守るための軍事技術者として従事していたのである。

様々な創作活動の傍ら、軍事技術者としても活躍をすることとなる。

晩年のレオナルドは、ミケランジェロやラファエロがいたヴァチカンで過ごしていた。

また、フランソワ1世とは親密な関係であり、レオナルドが死ぬ際にも一緒にいたとされている。

レオナルドはなぜ天才と呼ばれているのか

一言で言ってしまうと、彼の才能が多岐に渡っていたこと、どれもが革新的なアイデアであり、人々の生活に役立っていたためだ。

具体的な成果として、今回は4点紹介する。

1つ目は、絵画分野

古代からある色の強弱で遠近を示す技術に独自のアレンジを加えた「空気遠近法」を編み出したことだ。

この技法は、当時のルネサンス絵画に大きな影響を与えることになったのだ。

2つ目は、飛行に関する研究

鳥が飛ぶ様子を研究し、飛行するための装置をいくつか設計していた。

実際に飛ぶことはできなかったが、現代のパラグライダーや飛行機等に大変類似したものである。

3つ目は、天文学

地動説を証明することが出来た。

レオナルドの時代では、カトリック教会の見解が正であり、教会の正を簡潔に述べると、神が人間を中心にこの世を創造したということである。

つまり、神の力によって、人間のために天が動いているという天動説を見事にひっくり返すことが出来たのである。

4つ目は、水の流れに対する研究

レオナルドは、この研究を河川改修の際に役立てていたのである。

更に水の流れに対して科学的な考察等を残している。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生き方

以上のように、レオナルドの功績は、列挙するときりがない。

そのくらい多くの研究や成果を残してきたのである。

ではなぜ、人類史上最高の天才と呼ばれるまでになったのか。

私の考察となるが、それは、彼自身の好奇心と信念にあると言える。

彼は絵画や彫刻といった芸術をきっかけに、様々なことに興味を持ち出したのである。

よりリアルな人物画を描くために、人体解剖に立ち合い、遠近法を駆使した詳細な人体解剖図をスケッチしている。

水の流れや動植物を研究した結果、絵画の背景として描かれて行っている。

レオナルドの芸術作品が少なく遅筆であった理由は、
自身の作品に対して、リアルさを求め続け、妥協をしなかったことにあると考えられる。

レオナルド・ダ・ヴィンチから学ぶ、ビジネスシーンへの活用

私の考察となってしまうが、彼の研究内容がこれほどまでに後世に引き継がれている理由は3つあると考えている。

信念と探求

1つめは、信念を持って真実を追い求め続けていたことである。

彼は、極端な話をすると、神の存在を証明しようとした。

そういった目的意識があったからこそ、めげずに様々な研究を続けられたのだろう。

私たちも迷ったりしたときは、目的や信念を振り返ることが継続のポイントとなるとかんがえている。

絶え間無い改善

2つめは、失敗を繰り返してもめげずに改善し続けていたことである。

レオナルドは、失敗から発見を見出すことが多い人物であったとされる。

つまり、失敗に対しても原因追及を怠らなかったということである。

失敗したからといって次に行ってしまわずに、なぜ失敗したか、失敗した結果どうなってしまったのか、といったことを考えていくことで改善していくことが出来るのではないだろうか。

自己アピールのうまさ

3つめは、自己アピールが上手かったことである。

彼が様々な分野で活躍できた理由は、自己アピールとして、自身の成果ではなく、自分を活用することで何が出来るようになるか、といった未来図をプレゼンしていたとされている。

これは、就職活動やビジネスシーンでのプレゼンでも大いに使える考え方である。

まとめ:天才レオナルドは地道な努力から出来上がった

文字数の都合上、レオナルドの成果や考え方について全て紹介することが出来なかった。

しかし、天才と呼ばれた彼も、スタートは凡人であった。

血の吐くような地道な努力を継続したからこそ「天才」と呼ばれたのである。

そんな成功者からは、学べる考え方や生き方が沢山ある。

この記事をきっかけにレオナルドの功績や考え方を知り、日常生活に応用できることを願う。

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