今回は、フリードリヒ・ニーチェを語ります。
フリードリヒ・ニーチェ。
この人の魅力、賞賛すべきポイントは、その言葉と重さと硬さである。
しかもその上に稀代の文章上手とあって得も言えぬ韻律、調子となって魅了する。
と言いながら本当の彼自身は決して著作人物のような超然的な硬骨漢だったわけではなく、必ずしも聖人君主というわけでもない。
はっきり言って、ニーチェは、
「うぬぼれや」で「こざかしく」て「煩悩まみれ」で「ひきこもり」で「誰彼構わずケンカを売り倒す」ちょっと「困ったちゃん」
である。
だが、とにかく「素直」「研究熱心」「妥協が大嫌い」その変人ぶりを極めつくせばこうなるのかという一種の見本である。
近頃、価値観の多様化や貧富の格差などによりまたこの人に脚光が当たってきているようだが、いい機会かもしれない。
確かに我々が苦しいのも辛いのもすべては「橋の途中」だからだ。
「自然」になるか「超人」になるか、近代市民社会が浸透しつつあった時代に提唱した哲学が今に、そして未来にどう響いていくのかは実に興味深いところだ。
ニーチェの意外にもひっそりまじめなその生い立ち
フリードリヒ・ニーチェは1844年ドイツのレッツェン・バイ・リュッケンという小村に生まれる。
父カールはルター派の牧師であり、幼少は厳格な家庭に育つ。
幼いころから卓越した学力により「神童」の呼び声が高く、そういった期待を一身に背負う。
神学の英才教育を受けて育つが、十代半ばの思春期に入れば早くも伝統への追従のみで潔しとする学会に反発、やがて独自に哲学などへと傾倒してゆくことになる。
音楽と国語に特に才能を発揮し、20歳で国内の名門ボン大学へ進学、やがてライプツィヒ大学へ転学、23歳で徴兵に応じるもほどなくして怪我をして除隊。
やがてショーペンハウエルなどに惹かれ、当時ドイツ楽会で台頭しつつあったリヒャルト・ワーグナーと面識を持つようになる。
天才ニーチェはそれでも飽き足らなかった……
ニーチェは、バーゼル大学に僅か24歳で古典文献学の教授として招聘。
だが、ニーチェはこういった権威主義に無垢として反発、その処女作『悲劇の誕生』で、堂々と反論を述べると、やがて学会を破門。
個人「ニーチェ」のそして、彼が天才といわれるゆえんの放浪と戦いの「旅」が始まる。
当初、リヒャルト・ワーグナーとは互いに昵懇であったものの、ニーチェはやがて彼に飽き足りないものを覚え始める。
やがて絶縁。
ただ在野として『人間的な、あまりにも人間的な』や『曙光』といった意欲作を次々と執筆。彼の思想はそのはるかなる高みへと向かっていよいよと昇華を続ける。
38歳でルー・ザロメと知り合う。
彼女はロシアの軍士の家の出であり、ほぼ故郷を追われる形でヨーロッパへと流れてきていた。
彼女の類稀な孤高の魂と才覚に触れ、心を揺すぶられた彼は友のパウル・レーと共に「三位一体」なる怪しげな同棲生活を試みるがやがて破綻。
ルーに求婚し、破れた彼は自らの破綻を思い、ついにそれを世紀の大作『ツァラトゥストラ』へと昇華させる。
19世紀を代表する人類の金字塔『ツァラトゥストラ』
『ツァラトゥストラ』の凄みは一見してとにかく破壊的、従来の宗教や道徳の倫理をいったんなきものとして、
まず「本人」「人間」すなわち「大地」への回帰を謳う。
目指すべきものは「超人」。
ただその中にあってギリシャ以来数千年の哲学の系統をきっちりと踏襲し、かなり論理的であり、良心的でもある。
ともかく「盲従」と「偽善」に関しては徹底的に厳しく、これは彼に言わせると「悪」にすらもとるものであるらしい。
彼の著述の恐ろしさは彼の百年以上前に問うたことがひとつひとつ現実として顕現してきていることである。
そう思わせる文言がそこかしこにちりばめられている。
さらに忘れてならないのが彼の「文学的素養」である。
これをただの哲学書としてみると痛い目にあう。
これは大変に注意を要することだ。
世紀の大作を書き上げると後は燃え尽きるようにして……
41歳で大作をすべて完成させると、後はそれを補完するような著作をいくらか物し、やがて従来より患っていた偏頭痛などの影響か、俄かに正気を失ってゆく。
45歳トリノで騒動を起こして警察の厄介になり、夫と離婚して付き添うようになった妹エリーザベトの介護なしでは生活もままならなくなる。
やがて1900年肺炎をこじらせて死亡。
享年55歳。
かつてほぼ世間から顧みられることとのなかった著作の数々がその頃にはすでに話題をさらうようになり、やがて大きな社会現象となる。
こうして後代へと続く「天才ニーチェ」は始まったとされる。
ニーチェ名言集
「なぜ生きるか」を知っている者は、ほとんど、あらゆる「いかに生きるか」に耐えるのだ。
いつか空の飛び方を知りたいと思っている者は、まず立ちあがり、歩き、走り、登り、踊ることを学ばなければならない。
その過程を飛ばして、飛ぶことはできないのだ。
世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。
ひたすら進め。
あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう。
軽蔑すべき者を敵として選ぶな。
汝の敵について誇りを感じなければならない。
世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしているのである。
?
あなたにとってもっとも人間的なこと。
それは、誰にも恥ずかしい思いをさせないことである。
自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。
経験は、経験に対する欲望のように消えることはない。
私たちは経験を積む間は、自らを探求しようとしてはいけない。
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
どちらも相手を通して、自分個人の目標を何か達成しようとするような夫婦関係はうまくいく。
例えば妻が夫によって有名になろうとし、夫が妻を通して愛されようとするような場合である。
よい評判を得るために自己を犠牲にしなかった人が何人いるだろう?
真実の追求は、誰かが以前に信じていた全ての“真実”の疑いから始まる。
目的を忘れることは、愚かな人間にもっともありがちなことだ。
愛せなければ通過せよ。
自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である。
人は常に前へだけは進めない。引き潮あり、差し潮がある。
繊細な魂は、誰かが自分に感謝する義務があると知ると塞ぎ込む。
粗野な魂は、自分が誰かに感謝する義務があると知ると塞ぎ込む。
われわれ一人ひとりの気が狂うことは稀である。
しかし、集団・政党・国家・時代においては、日常茶飯事なのだ。
など。
まとめ:ニーチェは「天才を獲得した」
彼が天才と称されるようになったのは、その類稀な天賦の才のみではない。
事実彼はその才気をもってその時代の万人を酔わせたわけでも、大変な立身を遂げたわけでもない。
ただ、彼はそれまでの伝統の誤謬を誤謬として正し、後代への道標を付けた。
まさに天才とは「天才を獲得した人間」だ。