日本の偉人

野口英世、地球を舞台に走り抜けた日本人医学者

かぼちゃ
かぼちゃ
こんにちは。
歴史・偉人ライターのかぼちゃです。今回は、地球という舞台を走り抜けた日本人医学者、野口英世を語ります!

千円札の人物、野口英世

千円札に印刷されている人物でお馴染みの日本人。

世界で活躍した、日本が誇るべき医学者・野口英世。

野口英世は、1976年(明治9年)福島県猪苗代町に生を受けた。

明治と言えば、まだまだ江戸時代の影響が色濃く残っていた時代だ。

野口英雄の父・野口佐代助とシカ親の間に産まれた。

父親はある頃から酒乱になり、シカに度重なる苦労をかけることになった。

そんな野口の家庭は極貧そのものであった。

来る日も来る日も、母親であるシカは、懸命に働かなくてはならなかった。

そんな中、英雄は幼少期に火の入った囲炉裏に落ちるという悲惨な事故で左手に大やけどをおってしまう。

その左手は原型を失って指は全てくっついて自由をうしなってしまったのである。

息子にそんな酷いやけどをさせてしまった母親は、どうにかして英世の人生を明るいものにしようと努力をした。

やけどをしても、病院の先生に診てもらうためのお金がなかったのである。

手が不自由では農業はスムーズにいかない、せめて勉学だけは、と不憫な息子の為に祈ったんであろう。

英世も母親の懸命な努力に答えて、勉学に励み、優秀な学業成績を残したのだ。

英世の優秀さから周囲から手の手術のための医療費を募ってもらえるという喜びを得た。

麻酔もなかった時代だった為、死に物狂いの手術だったようだが、術後、ケロイド状ではあるものの指を個々に動かせるようになった。

現在でいうと決して成功とは言えぬ当時の手術だったようだ。

その医療に感銘を受けた英世は、医学を志すことを決心する。

後に、針の穴を通るほど難しいと言われていた医師試験に見事一発合格してみせたのだ。

周囲の援護と母親シカ、それと何よりの英世の言い尽くせぬ努力の賜物に他ならない。

野口英世の曲がらぬ心情

母親の言い尽くせぬ苦労を見てきた英世は、絶対に医学者になろうと決心していたのだ。

やけどをしていて極貧家庭出身の英世には、本人にしか分からぬ悲しみ悔しさがあったことだろう。

めげそうになっても、めげている生活の余裕もなかったのかもしれない。

故郷を離れ状況をする時に、実家の柱に英世自身が刻んだ言葉がある。

私が大好きな名言だ。

「志を得ざれば再びこの地を踏まず」

この名言には、ただ知れぬ彼の心情が込められていて、身震いさせられるのだ。

周囲の人々に応援されて勉学を全うできた英世は、その地に御礼をできるまでは、絶対に帰ってこない、絶対に凄くなって帰ってくるぞっとの意気込みが凄かったのである。

病原菌の研究をしていた英世は、よりよい研究のためにアメリカに渡った。

34歳の時、現地女性と結婚をすることになる。

結婚後も毎日を研究に費やす生活を送った英世だった。

でも奥さんが大好き

そんな研究熱心な英世でしたが、妻であるメージーをこよなく愛していた。

仕事の為に離れ離れになっている時は、頻繁に電報を打っていたそうだ。

命が尽きようとしている間際にも、元気なふりをして妻に電報を送っていた程だ。

そんなに想われていた奥様は、幸せである。
うらやましい限りだ。

そんな幸せ者の奥さんだが、当時では珍しく、お酒を飲むと夫を殴ったりと、暴れん坊な一面もあったそうだ。

そんな二人を思い浮かべると、なんだかちょっと笑ってしまう。

現代人も学びたい野口英世の言葉

数々の素晴らしい研究成果を挙げた英世だから、名言を沢山残している。

その中でも「家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない。人の一生の幸も災いも、自分から作るもの。周りの人間も、周りの状況も、自分から作り出した影と知るべきである。」という名言!

産まれながらにして極貧を経験し、ひどいやけどをし、普通だったらお先真っ暗だと下を向いてしまうような環境でも、曲がらぬ心情を持ち貫いた彼が言うことだからすごく力があるのだ。

周りに文句を言うのではなくて、そういう周囲や環境にしてしまった自分があったための現実なんだということだ。

前を向いて努力を惜しまなければ、だれでも幸せを手に入れることができるんだよ、ということですね。

「忍耐は苦い。しかし、その実は甘い。」という言葉も残している。

例えば、受験勉強って先が長いし、不安だし、掴みどころがないし、苦しいものだ。

合格が保証されてないものだからだ。

でも、本気で頑張って我慢すれば、喜びはその先にあるっていうことなのです。

こんな名言もある。

「過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。なぜなら人生で変えることができるのは、自分と未来だけだからだ。」

人間って、あーすればよかった、こうすればよかったって後悔しがち。

流石に偉人が言うことは違って、過去を変えようとも思わない、なのだ。

確かに何をしても変わらないことをあれこれ考えるのは無駄である。

自分と未来は変えられるんだ、と認識すると、心がちょっとリラックスする。

では、これから努力をして変えていきたいなーなんてポジティブ思考になるのだ。

野口英世の生家に行ってみよう!

野口英世に興味を持っていただけただろうか?

私は、福島県猪苗代町にある、野口英世記念館に何度も足を運んできた。

初めてその記念館を訪れたのは、小学校3年生の時。

夏休みの宿題だった読書感想文に、野口英世伝記を読んで、すっかりファンになってしまったのだ。

自分が住んでる日本にこんなにすごい人がいるんだと感動したのである。

それをしった私の父親がでは、野口英世の生家に連れて行ってあげるよっと、遥々福島県まで連れて行ってくれたのでした。

生家を庭から見学できるのですが、床柱に掘られた英世の文字を実際に見ることができます。

「志を得ざれば再びこの地を踏まず」

毎回ジーンとくる。

と同時に、己の甘さに恥ずかしさを感じずにはい。

前述したように、野口家は極貧だった為、生家も驚くほど狭いです。

真ん中には英世がやけどをした囲炉裏があります。

野口英世の最期はアフリカの地

彼は、自身が南米で発見した黄熱病の更なる研究の為にアフリカ・現在のガーナにいました。

奇しくも最後はその黄熱病にかかり人生の幕をおろすことになってことになってしまったのです。

黄熱病の初めての発見は、南米エクアドルだったが、病原菌を発見して生涯有効な抗体を打っていたにもかかわらず、アフリカの地で黄熱病にかかってしまったのだ。

彼は、アフリカでの黄熱病には効果がなかった、どうしてだかわからない、と言葉を残したそうだ。

妻のもとへ帰ると約束していたそうですが、会えないまま人生を終えてしまったのだ。

流石、偉人は最後まで凡人とは違う終り方をするのだ。

しかし、野口英世のお墓は妻との第二の故郷、アメリカにある。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)