日本の偉人

宝永の大噴火から人々を救った男・伊奈忠順の偉業

木村勝(男性・20代後半)

伊奈忠順とはどのような人物だったのか

伊奈忠順(いな ただのぶ)は、五代将軍徳川綱吉の時代に生きた男である。

徳川幕府が設置した関東郡代・伊奈忠常の次男として生まれるも、父と兄が若くして命を落としたために関東郡代職と四千石の赤木城の遺領を継いでいる。

当主を継いでからというもの、忠順は名門・伊奈氏当主の名に恥じることのない、立派な働きぶりを見せたと記録に残されている。

伊奈氏の代々の仕事を引き継いだ忠順は、幕府代官として様々な業務にあったという。

なかでも架橋工事や治水工事を行うことが多かったとされており、洪水や長雨などの自然災害に強く立ち向かっている。

伊奈忠順の仕事なくしては、洪水によって命を奪われる民が多かったであろうことが推測される。

有名どころで言えば、現在も隅田川にかかる「永代橋(えいたいばし)」などは、伊奈忠順によって架けられた橋である。

もちろんすでに当時の橋は取り壊され鉄骨製の橋に掛け替えられてはいるが、もとはこの橋も伊奈忠順が徳川綱吉の50歳を祝って架けた橋なのだ。

永代橋の例に見られるように、伊奈忠順の行った仕事は現在の我々の生活にも深く関わっている。

宝永の大噴火の被害から人々を救う伊奈忠順の偉業

伊奈忠順は数多くの仕事をこなしたやり手だったが、彼が生きたのは長い江戸時代のなかでも最も苦しい時期のひとつだった。

なぜなら1707年には「宝永の大噴火」、つまり日本の記録上最大級の富士山の大噴火があった時代だったのだから。

現在の我々には、あの穏やかに悠然とそびえる富士山が噴火するなどにわかには信じ難いことだ。

しかし富士山はれっきとした活火山であり、歴史がそう語っているようにいつ噴火してもおかしくない山なのだ。

不幸中の幸いだったのは、宝永の大噴火による直接の死者がでなかったことだった。

溶岩に巻き込まれた者や噴火で飛んできた岩に押しつぶされた者などは、記録されている限りゼロだったといわれている。

ただし富士山周辺の村は一瞬にして灰に埋まり、瞬く間に家や畑を残らず覆い隠してしまった。

発掘調査によれば、現在の静岡県駿東郡小山町のあたりは全体が2mもの高さの灰に埋め尽くされてしまったことがわかっている。

いくら噴火による死者がでなかったとはいえ、家も畑も財産も全て灰の下に埋まってしまった村の住民が餓死するのはハッキリ言って時間の問題だった。

この惨状を解決すべく動いたのが伊奈忠順だった。

もともと伊奈忠順は、酒匂川に堆積した火山灰を除去するための「砂除川浚奉行(すなよけかわざらいぶぎょう)」に任命され、川を経由して江戸に火山灰が届かないようにするための工事の指揮を取っていた。

そんな伊奈忠順のもとに、灰に埋まってしまった村の住民から助けを請う要請が届く。

すでに労働力も工事費用も底を尽きかかっている状態だったが、伊奈忠順は村人の必死の訴えに耳を貸し、件の村に足を運んだ。

灰に埋まった村でわずかに残った家と食料を分け合って必死で生きている人々を見た伊奈忠順はその惨状に驚き、なんとかして村人たちを救おうと試行錯誤を始めたのだ。

すでに幕府には「これ以上金は出せないし協力できない」といわれている状況であったにも関わらず、伊奈忠順は村人たちを見捨てなかったのだ。

自らの命と引き換えに民を救う伊奈忠順の男気

伊奈忠順は灰に埋まった村を救うため、数々の思考を巡らせた。

すでに砂除川浚奉行の仕事で労働力も工事費用も足りていない状態だったため、誰もが辺境の村など見捨てるべきだと考えていたのにも関わらずだ。

そんな中で伊奈忠順は「村の男たちを労働力として雇う」という手段を考案し、村人を救いつつも労働力を確保するというアイデアを生み出した。

この案は見事に成功し、すでにその日食べていくお金すら持っていなかった村人たちに当面の生活費用を与えることに成功したのだ。

また、灰に埋まった村は「天地返し」という方法を使い、灰とその下に埋まっている土を完全に入れ替えて復活させた。

もはや諦めるしかないと思われていた村は、伊奈忠順の指示によって少しづつ蘇り始めたのだ。

ところが村人たちは更なる苦難に襲われる。

それまで火山噴火の被害者に与えられていた「お救い米」という幕府支給の米が打ち切られてしまったのだ。

季節はもうすぐ冬…このままではほとんどの村人が春を迎える前に命を落とすだろうことは、誰にでも想像できた。

伊奈忠順、最後の手段

伊奈忠順は村人たちを救うために最後の手段に出る。

「幕府直々の命令だ」と嘘をつき、偽の指示書を見せて駿府紺屋町に保管されていた幕府の米を持ち出したのだ。

米は全て村人たちに均等に配られ、彼らはなんとか冬を越すことに成功する。

しかし、伊奈忠順はこの一件の責任を負い、幕府への出頭を命ぜられることとなった。

いくら民を救うためとはいえ、幕府を欺いた罪は重く見られ、切腹してこの世を去ったと言い伝えられている。

血も繋がっていない村人たちを救うため、自らの命を犠牲にしてまで食料を確保した伊奈忠順の男気には感服するしかない。

名主・名君・名将と謳われた偉人は数多いが、果たして伊奈忠順のように無償の愛を人々に与えられる人間がどれほどいただろうか。

時代が時代なら、彼の行動は神格化され「聖人」として崇められていたかもしれないとすら思う。

尋ねてみたい伊奈忠順ゆかりの地「伊奈神社」

伊奈忠順が救った村には「伊奈神社」が建っている。

伊奈忠順が行った勇気ある行動は、幕府にこそ認められなかったものの、当時の村の人々の心には根強く残ったようだ。

実は伊奈忠順は記録上「病死」とされているがそのタイミングや情報の少なさがあまりに不自然で、信ぴょう性が高いとは言えないようなものだった。

ところが当時、伊奈忠順が救った静岡県駿東郡小山町には、「伊奈さまは村を救うために命を犠牲にして米を確保してくれた」という言い伝えがしっかりと残っているのだ。

現に、駿東郡小山町には「伊奈神社」という神社が建立されている。

もちろん偶然の名前の一致というわけではなく、ここは伊奈忠順の菩提を弔うためにできた神社なのだ。

伊奈忠順が村を救ったという言い伝えが嘘ならば、まさか彼のためにこのような立派な神社が建つことはないだろう。

この神社の存在こそが、伊奈忠順が村のために尽力した素晴らしい人物だったという証明にもなるのだ。

伊奈神社の境内には、伊奈忠順の銅像も建っている。

残念ながら教科書に載るような有名な偉人ではないが、伊奈忠順は地元の人なら誰でも知っている偉大な人物であることには違いない。

伊奈忠順の偉業に思いを馳せながら、静岡県にお立ち寄りの際には伊奈神社を参拝してみてはいかがだろうか。

現代人も伊奈忠順に見習うべき点が多い

今回は宝永の大噴火から多くの人々を救った伊奈忠順の紹介をしてきた。

記事を読んだ人にはこれを単なる偉人の話ではなく、学ぶべき点の覆いエピソードとして汲み取ってほしい。

伊奈忠順は関東郡代、つまり庶民よりもはるかに偉い人物だった。

本来ならば、その地位にあぐらをかいて贅沢な生活を送るくらいのことはできたはずだ。

しかし伊奈忠順は、常に民のために自らを犠牲にして働いていた人物だった。

何も、身を粉にして働けというのではない。

見習ってほしいのは、上下の人間関係にとらわれず、他人のために動くことができるかどうかという点だ。

日本では「パワハラ」が社会問題になっているが、そのような愚かな行為を働く上司にこそ、まさに伊奈忠順を見習ってもらいたい。

「自分が偉い」と考えるのではなく、「自分がどうするべきか」を常に考えて行動する力が現代人には足りないのかもしれない。

労働力不足・工事費用不足という大きな問題も自分のアイデアひとつで解決し、最終的には自分の身を犠牲にしてでも下の者たちを守る…

人の上に立つ人間ならば、伊奈忠順のように優れた考え方を持っていてほしいものだと強く願う。

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