こんにちは。偉人ライターの山田孝輔です。
今回は吉田松陰を語ります!
吉田松陰の概要
日本の明治維新の精神的な立役者として、生きた吉田松陰。
吉田松蔭は長州藩(現在の山口県萩市)で生まれた。
生存年は文政13年8月4日(1830年9月20日)から、安政6年10月27日(1859年11月21日)と29歳という短い生命だったが、明治維新の精神的指導者として、理論者として活躍した。
さらに、江戸幕府を倒幕し、新しい西洋文化を取り入れることに力を注ぎ、現在の山口県萩市に私塾である「松下村塾」に若者を集め、明治維新で活躍する人材を輩出した。
しかしながら、幕府に反抗するあまり、絞首刑となり、江戸で満29歳という若さで亡くなる。
吉田松陰の人柄
吉田松陰の人柄は、真面目で勉強家、そしてその誠実さから周囲の人が集まってくるという雰囲気がある。
真面目で勉強家ということに対しては、吉田松蔭の父である、百合之助と、父の弟である叔父の玉木文之進が吉田松蔭をスパルタで教育したことで有名である。
特に、叔父の玉木文之進は鬼軍曹のような教育方針で、吉田松陰を鍛え上げ、冷静な理論者としての精神を身につけたと言える。
そしてこの真面目さは、周囲の目もくれず、また流されることなく、自分が信じた道を進むという信条を持っている。
現に、幼い頃は周囲の子供と遊ばす、ひたすら勉強という毎日を暮らしている。
青春時代も本来であれば異性に目覚めるのだが、女性にも目もくれず、若者に対して教育をしている。
お酒も飲まない性格であったことから、現代から見ると、「生真面目」という言葉が本当に似合うものであると思う。
ただ、周囲への配慮、また気遣いはとてもあり、人格者と言える。
生真面目と人格者という性格は一見正反対の様に見え、また現代ではこのような人格者はまれであるし、私も吉田松陰のような人格者をみたことはない。
また、吉田松陰には兄と妹がいる。
妹については、先般の大河ドラマでも取り上げられたが、兄弟は仲が良かった様子である。
吉田松陰の魅力、現代に通じる思想、指導力、気質
私が特に推す吉田松陰の魅力は3つある。
1つ目は、私も山口県出身であるが、幼いことから吉田松蔭のことについて学校の先生から教えられたことに由来する。
吉田松陰が伝えた言葉を覚える授業として、「素読」というものもあった。
その素読で教えられたことは、「真面目な人間は人のために頑張り、その頑張っている姿を周りの人が見て、その人についていこうという気持ちになる」ということである。
これはまさに現代でも通用する内容であると思う。
企業の人材、経営者にとって見ても、この言葉が似合う人がどれほどいるだろうかと考える。
2つ目は、指導方法である。
私塾である「松下村塾」では、生徒との問答を大事にして、指導をしていた。
決してスパルタのような教育方針ではなく、生徒が考えている内容を傾聴し、その傾聴をしながら対話を行い、最後にアドバイスをして行くという方法であるが、これも現代の学校や家庭においても十分通用する方法である。
特に、子供に対して頭ごなしに叱るのではなく、子供の気持ちを聞いた上で、アドバイスし、子供の能力の引き伸ばして行くという指導方法については、最近、この手法をとった子供の塾が増えていることからも、吉田松陰による指導は最先端をいっていたということになる。
3つ目は真面目である。
真面目な性格は暗い、人当たりが悪い、とかではなく、自分の信念を貫くために、人が困っていれば助けるという精神を持った人物である。
例えば、吉田松陰が遊びに行った友人の自宅が火事になったが、自分の私物を持ち出すことは一切せず、友人の家の家財道具を懸命に持ち出したというのは有名なエピソードである。
私利私欲を念頭におくのではなく、周りの人の幸せを思い、その幸せのためには、自分が犠牲になってもよいという考えである。
この3つのことは、私の精神の拠り所になっており、
現代のビジネスパーソンにも通用することだと思う。
吉田松陰の生き方が現代に通用するか
吉田松陰のような生真面目さが、現代の生き方として通用するかどうかは正直わからない。
しかしながら、私はこの吉田松陰の気質と、周囲の抱き込みによって、自分が大きく、また周りの方々も成長していくという考えはある。
例えば、経営者やリーダーとして自分が頑張ればいいのだが、周りの人が付いてくるような環境を構築しているかどうかも関係してくる。
組織として機能するためには1人ではなく、関係するメンバーの協力や能力によって相乗効果を引き出すことになる。
吉田松陰も当時は自分1人で頑張るのではなく、周りを抱き込みながら、大きな力を出して行くことが重要であるということを伝えている。
もし、自分だけしか頑張っていないと感じ取る経営者、リーダーがいるとすれば、周りの方々に対して気を配る必要がある。
おそらく、周りが「誰かが頑張っていればよい」という気持ちになっていると推察されるが、これを打開するためには、吉田松陰の教育方針である傾聴、対話、アドバイスということを改めて考えて行くべきである。
吉田松陰のゆかりの地
吉田松陰のゆかりの地、山口県萩市。
萩市にある松陰神社には、松下村塾がある。
なんと、幕末の建物をそのまま保存されており、
2009年には九州・山口の近代化産業遺産群の1つとして追加され、
2015年に正式に、明治日本の産業革命遺産として正式に世界遺産として登録がされた。
小さな建物だが、
ここから明治維新の立役者が大量に輩出されたことを考えると、この松下村塾をみる価値はとてもある。
さらに指導者、リーダーとして、今後、後輩をどう育成して行くべきかを大変考えさせられる。
また吉田松陰に関係するものとしては、幕末に投獄された野山獄跡もある。
さらに萩市には、明治維新に関係する建物もあり、明倫館はとてもロマンを感じさせる学校の校舎もある。
街全体が世界遺産一色ではあるが、吉田松蔭の生き方をより知りたいのであれば、ぜひ足を運んで欲しいと思う。
現代の経営者・リーダーたちに学んで欲しい吉田松陰という人まとめ
吉田松陰は短い命ではあったが、私たちの近代日本の礎を作り上げた人物として、とてもインパクトのある人物である。
現代にも通用する吉田松陰の精神については、経営者やリーダーといった、人の上に立つ方々にもっと知ってほしいと思う。