私が老師を好きになった理由
私が歴史上の人物でもっとも好きな人は、中国の思想家の老子である。
私が老子を好きになったきっかけは、テレビで老子のことが紹介された番組を見たことだった。
当時の私は転職活動中だったが、なかなか次の仕事が決まらなかった。
前職を辞める時に予定していた収入が途絶えてしまい、生活もかなり大変な状況になっていた。
私はそのようなタイミングの時に老子のことを知り、その言葉に非常に感銘を受けた。
さっそく、近くの書店へ行き、老子の本を探した。
その中で非常にわかりやすく書かれている本を見つけ、私はそれを購入した。
どの言葉も今まで私が考えていたことや、思っていたこととは違っていた。
私は今まで何でも頑張ることが美徳だと思っていた。
しかし、どんなに頑張っても先が見えずに、かなり辛い状態が続いていた。
そのような時に「頑張らなくて良い」という老子の言葉に私は救われると同時に自然に涙が流れてきた。
老子の言葉からあるがままの自分でいることの大切さを学んだ。
それからは虚勢を張らずに見栄を張ることなく、とても楽に生きられるようになった。
全てのことに行き詰っていた私に優しく手を差し伸べてくれ、私は心底から解放されたような気持ちになった。
老子の言葉で出会い人生が変わる体験をあなたにも。
私は何度も老子の本を読んで、特に心に残る言葉は手帳などに書き込んでいくようにした。
また、外出先でも読めるように、携帯電話のメモにも入れておいた。
辛い時や上手くいかない時は、老子の言葉を見て、どれほど心が救われたかわからない。
さらに、老子の言葉のように考え方や物事の捉え方を変えて行ったところ、就職でも良いご縁に恵まれることができた。
それから少し経った頃、街で偶然に以前勤務していた職場の上司に出会い、人材を探しているとのことだった。
私は2つ返事でその仕事を引き受けることにした。
私はようやく長らく辛くて苦しい転職活動を終えることができた。
給与も私が考えていたよりも多く、やりたい仕事だったので、その時は本当に嬉しく思った。
厳選!老師の言葉
私が老子の数々の素晴しい言葉の中で、一番好きな言葉がある。
それは「上善如水」だ。
この言葉は老子の言葉の中でも、良く知られていると思う。
私もお酒の名前でこの言葉を知ったが、その時は老子の言葉だとは気が付かなかった。
老子という人も名前をなんとなく聞いたことがある程度で、それ以上詳しくは知らなかった。
何より中国思想は難しい印象があったので、その難しい本を読む機会も読もうと思うことがなかった。
しかし、人生でかなり辛い時に老子の言葉に出会えたことは、やはり出会うべくして出会ったことなのかもしれない。
私はあまり争い事が好きではなく、また今までマイノリティーな存在で生きてきたこともあり、コンプレックスが少なからずともあった。
しかし、できるだけポジティブに捉え、周りから非難をされても、何とか頑張って前に進んできたつもりだった。
だが、その限界を大きく感じていた時に、私はこの言葉に出会い、今まで背負っていた重すぎる何かが、一気に下ろせたような気がした。
実際、現実の状況は全く変わっていないのだが、老子の言葉に触れている時は、心底解放された気持ちになることができた。
さらに今の状態に満足することも教わった。
いつも、不足を感じていた私だったが、必要なことはいつも全て揃っているということを知り、心が満たされた気分になった。
老子が生きた時代
老子は中国の哲学者で、春秋戦国時代の人である。
紀元前6世紀頃の人のようであるが、史実は不明な点も多いようだ。
私からすれば、気の遠くなるような昔の人だが、時代を超越した非常に偉大な人だと思っている。
戦国時代ということもあり、世の中はかなり乱れていたと思う。
このような時代だったからこそ、いかに心を静めて平穏を保っていくかが重要だったのだろう。
私もかなり辛い時代だったからこそ、老子の数々の言葉に心から感動したのだと思っている。
これが日々平凡でこれといった大きな悩みもない時であれば、仮に出会っていたとしても、心を揺れ動かされるようなことはなかったかもしれない。
老子の言葉まとめ
私は老子の言葉に出会ってから、考え方や捉え方が180度変わったと言っても過言ではないと思う。
そして生き方も大きく変わった。
今まではいわゆる普通が大事だと思ってきた。
しかし、普通を目指すのではなく、自分を活かした生き方を目指すことが大切だということを学んだ。
さらに強欲は人を不幸にするということも知った。
今は常に満たされているということを知れば、必要以上に欲しがったりしなくなる。
そうすれば自然と争い事もなくなると思う。
また、それぞれ個々の道(タオ)があり、それに向かって進むことが大事だということも知った。
他の思想や哲学、宗教などに通じるところもかなりある。
老子の思想から発展しているものを少なくないようだ。
今後も老子を一生の心の師と仰ぎ、心穏やかに、そして愉快に過ごしていきたいと思っている。