劉邦は古代中国秦末の争乱時代を戦い抜き、ライバルの項羽を垓下に破り天下統一を成し遂げた人物だ。
その人格は人間的魅力に富んでおり、あえて自分ができないことを飾らず打ち明けることで周囲の人材の実力を最大限発揮させる人物だった。
劉邦の魅力はまさについつい助けてしまいたくなってしまうその人間性に合ったのである。
劉邦の生き方から現代人として是非学びたい生き方として次の3つの視点がある。
- 仕事はどんどん人に任せてしまう
- ついつい助けたくなってしまう人間性を最大限発揮する
- どんなに負けても諦めない、決定的な負け方をしない
劉邦が戦った秦末の群雄の戦いのように、仕事の規模が大きくなり、尚かつ複雑化すればする程、個人で戦うと限界が出てくる。
現代のビジネスにも言えることであるが、複雑な仕事は分割してそれぞれ得意なものに任してしまうのが一番効率的である。
劉邦は現にそのように人材に仕事を任せた。
彼の仕事はただ一つ、負けても死なないことであった。決定的な負け方をしない限り、最後の一戦で勝った者の勝利なのである。
劉邦の生き方は現代人にそういっているように思われる。
劉邦の生涯と人柄
1)劉邦が見せた人に仕事を任せるという武器
劉邦は秦末の争乱時代にライバルの項羽と覇を競った。
カリスマ性があり、武力抜群の項羽と違い、劉邦は一見冴えない、多才とは決して言えない人物だった。
項羽は中国の歴史で見ても屈指の能力を持った武将だった。
しかし両者の戦いの結果をわけた最も大きな要因は他者を信じ仕事を任せるか、なんでも自分でやってしまうかの違いである。
劉邦は自分の能力をひけらかさず、有能な部下をどんどん取り立てた。
その結果次々と人が集まってきた。項羽は能力があるばかりに自分でなんでもやりたがった。
そのために戦争後期になると能力がある部下が去って行ったり、死んでしまったりしてどんどん形勢不利になっていった。
戦争当初は項羽の能力が光っていたが、後期には劉邦陣営に集った韓信、陳平、蕭何、張良などの歴史に名だたる名将・名臣たちの活躍で劉邦陣営が有利になっていった。
このことから現代人が学べることは一人でやれる仕事には限界があるということである。
そして、周囲の人を上手く巻き込み、その人の力を発揮することができればチームで大きな力を発揮出来るということである。
劉邦陣営は戦争は韓信、策謀は張良・陳平、政治は蕭何など中国歴史上でも大一流の人材達が切り盛りしていた。
このうち韓信と陳平は元々は項羽陣営に居たものの、才能を認めらなかったこと、項羽が身内びいきで登用したことから愛想を尽かして劉邦陣営に流れてきたのである。
これを見ても、人に仕事を任せるということはライバルと戦う上で強力な武器になる
2)ついつい助けたくなってしまう人間的魅力
人に仕事を任せるということにも通じてくるが、項羽と劉邦のもう一つの違いとして、人間的魅力の相違がある。
二人とも当時からみても、現在から見てもとても魅力的な人物だった。
項羽は圧倒的な武力と身体的な特徴から兵達から抜群の信頼を得ていた。
項羽が率いただけで軍の力が増加すると言われている程だった。
一方、劉邦の人間的魅力は一見、わかりにくい。項羽のように軍の先頭にたって士気を鼓舞したり、兵達を魅了するような外見は劉邦は持っていない。
劉邦の人間的魅力は「この人は私が助けないと何ともならない」と部下に思わせることである。
彼の部下達はできないことをさらけ出し、自分の意見にこだわらず、部下の素直に意見を聞く劉邦の為に働くことにやりがいを感じていた。
軍団に君臨し、皆が項羽にひれ伏している項羽陣営と、何も出来ないぼけっとした劉邦の周りを有能な部下達が忙しげに働いている劉邦陣営。
戦争後期になり、戦局が多角化、そして事業が複雑化する程(占領・統治・収税)、様々な人材を得た劉邦陣営が有利になっていった。
現代人にも通じるのではないだろうか、圧倒的なカリスマ性を持っている相手に対しても、劉邦のように自分を周りの人材に助けさせることにより負けないチーム作りをすることができるのである。
3)どんなに負けても投げ出さない
中国の歴代帝国の創始者で劉邦程負けた人物も珍しい。
彼の子孫で後漢の創始者光武帝も、実質唐の創始者である李世民も、並みいる群雄と戦い、天下を統一する過程で生命の危機に陥るような敗北はそこまで多くなかった。
しかし劉邦は大いに負けた。
項羽という稀代の英雄が相手だったこともあるが、なんども軍を蹴散らされ、少数の部下と追手から逃れたことがあった。
時には心酔する変わり身を申し出る部下を城に残して、命からがら脱出したこともあった。
しかし劉邦は諦めなかったのである。
何度項羽に負けても、自分の首が取られずに最後の一勝に勝てば、自分の勝ちだということが分かっていた。
だから戦いに負けたらすぐに逃げた。
逃げながらも各地に部下を配置し、それぞれから項羽を攻撃させた。
後方支援にも力を入れ、何度負けても新しい兵と兵糧をもって項羽に再挑戦した。
そしてとうとう垓下に項羽を追いつめたのである。
現代人にも当然通じてくることだ。
まけてもまけても、絶対に立ち上がらなければならない。
そしてどんなに負けても、決定的な負け方をしてはいけない。自分の首がつながる負け方をしなければならないのである。
至らなさを打ちあけ部下を生かした劉邦、能力の関羽
劉邦の生き方については司馬遼太郎の「項羽と劉邦」、中国の歴史をまとめた十八史略などで詳しく知ることができる。
劉邦の生き方が現代の我々に伝えているのは、大事をなすには表面的な能力よりも大事なことがあるということである。
能力の派手さで言えば、項羽の方が圧倒的に勝っていた。
武将としての個人の能力でも劉邦は項羽に及ばなかったであろう。
しかし、自分の至らなさを正直に打ちあけ、部下に力を発揮させ、自分を助けさせるという能力では項羽は劉邦には遥かに及ばなかった。
これは現代人にも通じることである。仕事や人生は一対一の果たし合いではない。周囲には様々な人材がいるのである。
もしライバルがいるのならば、自分の力だけで張り合おうとすると、どうしても限界がある。
ライバルが周囲の人々の力も使って攻めてきたらとても太刀打ち出来ないのである。
なので、大きくて複雑な仕事をしようとすればする程、自分の能力に頼っては行けない。
劉邦のように自分のダメなところをさらけ出してでも周囲の力を総動員しなければ成らないのである。