フランスの偉人

ルイ・パスツール 「幸運は用意された心のみに宿る」

JUSTIN CHIEさん(女性、50代後半)

パスツール(1822−1892)は、近代細菌学に貢献した偉大な科学者である。

予防接種や、殺菌など今日は普通に思うようなことも、当時は考えられない未知の時代に、次々に問題を解決すべく、アカデミーのほかの科学者の反対などもあるなか、あきらめずに研究、努力をしてきた人物だ。

目に見えない細菌というもの自体が認められるきっかけを作った一人だともいえる。

フランスの農業などの産業にも、細菌学の分野から大きな貢献をしてきた。おいしいワインが飲めるのも彼のおかげといえるかもしれない。

何もかも順風満帆な人生であったというわけではなく、学生時代すでにつまづき、失敗なども繰り返しながらも努力を続けてきた結果、世界的にもその研究は知られることとなり、世界中からの支援もありついには自らの研究所も設立するに至る。

今日も世界的にクオリティーの最も高い細菌研究所の一つともいえるパスツール研究所は、彼の意志を引き継いでたゆまない研究を続けている。

パルツールは何をした人なのか

パスツールはフランスの近代細菌学の開祖といわれる人物である。

予防接種という観念はこの人のおかげで広まったといっても過言ではないだろう。

代表的なものとして、狂犬病、炭疽病などがある。

狂犬病に至っては今日もその治療方法がないので、予防注射のみがこの病気の対策である。

パスツールのおかげで、家畜や人間の命がどれほど助けられているのか計り知れないものがある。

多くの病気などの原因が、当時のフランスでは、細菌によるものという認識すらある限られている人達の間でしか知られていないという状況で、次々と成果を出していった。

科学者の間ですら、目に見えない何かが原因で、病気になるということ自体反対する科学者もいたぐらいで、また当時のフランスでは、宗教関係者も政治の一環にあることなどから、彼がどれだけ苦労して、今日は常識となっている、殺菌消毒というような当たり前のことを訴えなければ徹底できなかったかと思うと、気が遠くなる。

パスツールは医者ではないという点から、科学アカデミーでも、部外者が何を言うというような反対派がいたことも事実だ。

今では殺菌するという観念は普通誰でも知っていて、特に日本人は抗菌などという言葉に、敏感に反応してしまう傾向にあるが、牛乳などに行われている低温殺法はパスチャライゼーションというが、パスツールが語源である。

パスツールは「科学に国境はないが、科学者には祖国がある」という名言を残しているようにフランスのワインや養蚕、家畜の予防接種など農業の分野での問題解決を多く行い当時のフランスの産業に対して多くの貢献もしている。

ワインに多く含まれている酒石酸の研究では光学異性体の概念を初めて発表している。

パスツールの意外な学生時代

パスツールは、日本でいうところの高校の卒業試験というべきバカロレアでは、はじめ文系を目指して勉強していたのが面白い。

結局力及ばず、サイエンスのほうに切り替えることにし、もう一度勉強しなおしている。

その後いろいろな学校で学ぶ機会があり、難関校であるエコールノルマルといういわゆる東大クラスの学校で化学、物理、結晶学を学んでいる。

日本の教育制度とフランスの大きな違いは、例えば大学1回生の単位を全うした場合、2年目は違う大学に行くというようなことが現在も普通に行われているという点だ。

自分の目指す勉強に何がどのような教授のもとで勉強するのが良いかを毎年検討して、しかも学部を隔てて、やり直しも可能、本当に自分の学ぶべきものを選ぶというチャンスが毎年あるという点だ。

パスツールは、自分は理系向きだと判断できて進路を変更したところが潔いと思う。

失敗もチャンスに変える。

卒業後化学の教師などを経て、その多くの功績より1862年にはフランスの科学アカデミーの一員としても選ばれている。

1876年54歳で政治家への道へ立候補するも、落選しその後研究にすべての時間を費やすこととなる。

皮肉にもこの落選をしたおかげで、政治家では到底考えらえないほどの多くの功績を残すこととなり、レジオンドヌールなどの勲章も与えられているのは、この落選後の研究によるものである。

忘れてならないのは、パスツール婦人のマリーローランは、ストラスブール大学の学長の娘でもあり当時の女性としては、教養のある女性であったことは確かで、パスツールの秘書のような役割をしており、常に寄り添い励まし、フランスでは重要なポイントである手紙や書類の記載などは彼女によるものが多く、最も重要な協力者であったと伝記にも記されている。

パスツールの名言「幸運は用意された心のみに宿る」

彼の名言は「幸運は用意された心のみに宿る」

これはいいかえれば、偶然は準備のできていないものには微笑まないとも言い換えることができる。

チャンスをつかんで、運のいいやつだとか周りのものが嫉妬していうことがあるが、チャンスをつかんだものは、常に人知れず努力などを重ねていた結果によるものがほとんどである。

多くの研究をしてきた、パスツールらしい名言だと思う。

研究には失敗もあれば、一度成功しただけでは、研究結果とは認められず、同じような実験を気の遠くなるほどに繰り返し行った結果、発表に至るというようなものが多くある。

多くの発見をしてきたパスツールは、彼だからいとも簡単に見つけたのではなく、その根気よくあきらめずにトライした姿勢が発見に至らしめたというべきことだ。

何かをやり遂げたという人は、それなりの努力や、困難に立ち向かっていった結果だということだ。

努力を惜しまず日々精進しているといつか幸運の女神は私にもチャンスを与えてくれるものだと信じたい。

パスツール研究所は、彼の研究成果から、世界中からの支援のお金が集まり1888年に設立されている。

パスツールの死後その遺体は本人の家族の意志から、この研究所に眠っている。

パスツール研究所はパスツールの意志を引き継ぎ今日も研究を続けており、当初その警備にあたっていたのは、狂犬病の予防注射の時、パスツールが、命を救った少年が成人した男性で、死ぬまで当たっていたようである。

パスツールに学ぶもの

パスツールは近代細菌学に多くの貢献をし、その偉業は、予防注射や農業など多方面にわたる。

今日殺菌などの誰にでも受け入れられている観念がない時代に、努力をして研究した結果のたまものである。

彼の人生において、力及ばないことや、選挙に落選したなど、困難に見舞われていながらも、何かを成し遂げたという背後には熱意と地道な努力があったからこそというべきだろう。

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