フランスの偉人

印象派の画家クロード・モネの生涯・作品(睡蓮・日の出等)から学ぶ4つの事!

ケン
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こんにちは。偉人ライターのケンです。私が一番好きな時代は日本でいうと平安時代の頃です。
今回はクロード・モネの生き方、学びたいこと等を紹介します。

 

クロード・モネ「睡蓮」「日の出」「緑衣の女性」などを残した印象派の画家

クロード・モネはパリで生まれた印象派の画家で、「睡蓮」「日の出」「緑衣の女性」など数々の名作を残した人物だ。

その人格は情熱的で努力家でもあり、たとえ世間に認められなくても自分が信じる絵を描き続けた。

晩年のモネは白内障を患いながらも大作「睡蓮」を完成させ、彼は1926年、享年86歳まで生きた。

その上、モネの魅力はまさに彼が描いた絵だ。なぜなら彼の絵は従来の画家が描いていた絵とは異なり、固有色を否定し、自然の光によって変わる風景を写実的に描いているからだ。

故に、そんなモネが残した言葉がある。

すべては千変万化する。石でさえも

これは光に見入られ、あらゆる風景を描いたモネだからこそ出た言葉ではないだろうか。さらに彼が描いた絵はいまも幻想的で美しく、人に感動を与え続けている。

そして、そんなクロード・モネから現代人として学ぶことがいくつかある。

  1. まず相手に認められなくても諦めないこと。
  2. 次に自分が信じたものをやり続けること。
  3. 最後に困難から逃げずに立ち向かうこと。

では、詳しく紹介しよう!

クロード・モネの生涯と人柄

クロード・モネ。

あなたはそう聞いて何を思い浮かべるのだろう?

まずモネは印象派の画家だ。そして代表作は「緑衣の女性」や「睡蓮」で、この程度なら知っている人も多いかもしれない。だが、ここからはモネがどういう人物か詳しく紹介していきたい。

モネは1840年にパリのラフィット通り45番地で生まれ、裕福な家庭で育った。そんな彼が絵を描き始めたのは10代の頃で、その時にはもう絵の才能を発揮し始めていたという。

それから18歳になったモネは、ウジェーヌ・ブーダンという画家から風景画を教えられ、屋外で絵を描くようになった。

この一年後、本格的な絵を学ぶためにパリに出たモネはピサロ、ルノワールなどと知り合う。

クロード・モネ「印象・日の出」がきっかけで印象派という言葉が生まれた

そして彼らは1874年に展覧会を開くが、彼らの絵は当時の人々に受け入れてもらえずこの時、出品されたクロード・モネの絵「印象・日の出」がきっかけで印象派という言葉が生まれる。

その後、モネが世間に認められ、彼の絵画が売れるようになったのは40歳以降で、モネは43歳の時にジヴェルニーに移住し、自分が造った美しい庭で絵を描き続けた。

白内障を患いながら「睡蓮」を描き上げたモネ

晩年のモネは白内障を患いながらも大作「睡蓮」を完成させ、彼は1926年、享年86歳まで生きた。

睡蓮とはモネが描いた一連の絵画の総称で、作品の数は200点以上も存在する。そしてモネが睡蓮を描き始めたのは50代の頃で、彼は白内障を患ってからも睡蓮を描き続けた。
しかし、モネが描いた睡蓮は白内障になる前となった後で大きな違いがある。

初期の睡蓮は水面に映る光と草木を含めて、美しい睡蓮の葉が描かれていた。
それにも拘らず、白内障を患った後は油絵の滲んだ色が使われ、かすんだような絵になっているのだ。

それでも白内障を乗り越えたモネは色彩を取り戻し、自分が思う絵を描き続けたのである。

「ラ・ジャポネーズ」は、クロード・モネの妻カミーユがモデル

そんなモネは愛妻家としても知られ、「ラ・ジャポネーズ」は妻のカミーユがモデルになっている。この絵は鮮やかな着物を纏った女性がとても美しく描かれている作品である。

私はこの絵を見た瞬間、衝撃を受けた。女性をこんなに麗しく描くことができるのか、と素直に驚き感心したのだ。

クロード・モネの作品の特徴

その上、モネの絵は従来の画家が描いていた絵とは異なり、固有色を否定し、自然の光によって変わる風景を写実的に描いたものだ。モネの数々の作品に見られる特徴だ。

たとえば同じ色の花でも朝、昼、夜に見える時の色は違い、その日の天候によって光の加減も変化する。さらに、一秒ごとに移り変わる場面も存在する。

モネは印象派の画家としてそれを追求し続けたのだ。

クロード・モネから学ぶ4つのこと

1)諦めなかったモネ

彼は世間にバカにされ、認められなくても自分が信じるものを描き続け、40代の頃にようやく評価されるようになった。だがそれは誰でも簡単にできることではない。なぜなら誰かに認められないことほど辛いものはないからだ。

もし、私がモネと同じ立場だったら絵を描き続けることができただろうか。おそらく絵を描き続けることはできなかっただろう。

しかし、仮にあなたが諦めそうになった時はモネのことを思い出してほしい。モネは誰にも認められなかったものを自分の力で認めさせたすばらしい画家だからだ。

 

2)白内障を乗り越えたモネ

彼の晩年は白内障が原因で画家にとって大切な視力が衰えてしまった。それは当時のモネを苦悩させたに違いない。

だがモネは画家をやめなかった。その理由はモネが絵を深く愛し、美しい絵を描くことに情熱を持っていたからではないか。

そして白内障の手術を乗り越えたモネは色彩を取り戻し、美しい睡蓮を描き続けた。故に、私たちはそんなモネの姿を見習わなければいけない。私たちは彼が困難を乗り越えたように、困難に立ち向かわなければいけないのだ。

3)睡蓮への飽きない情熱

彼は自分が造った庭で200点以上の睡蓮を描いた。それは彼が睡蓮の美しさに惹かれ、日々情熱を持って描いていたからだろう。

私たちはその情熱を見習い、何かに夢中になれるものを見つけなければいけない。そしてもし夢中になれるものを見つけたら、直ぐに投げ出さず続けてほしい。それがとても大切だからだ。

4)モネの視点

「すべては千変万化する。石でさえも」

これはモネが残した言葉だ。そしてこれは単純に聞こえるが、とても深い言葉ではないかと私は思う。モネは石でさえもさまざまに変化すると言っているのだ。だが、この言葉だけでは意味不明だ。

もしあなたの前に石が置いてあったら、あなたの目にはどう映るだろう。

石は丸いか、それともごつごつしているか。石は大きいか、それとも小さいか。石はただの石にしか見えないのか。

しかしモネの目に石はこう映るだろう。光を受ける石は普段見る色とは違い、それは一瞬一瞬で見え方が違うのだ。

さらに、これはモネが絵を描く時の視点に関係している。モネは物体に反射する光をとらえ、その色を絵に描いていたのだ。

このことから物事にはいろいろな見え方があるとモネは教えてくれている。だから私たちは物事の一面だけではなく、物事に存在する他の面を見なければいけない。私たちはそうすることによって人とうまく付き合ったり、人を思いやったりすることができるからだ。

クロード・モネゆかりの地・書籍を訪ねて

フランスのジヴェルニーにはモネが1883年〜1926年まで住んでいた家と庭園があり、彼の大作である睡蓮はここで描かれている。

この場所はモネが亡くなった後、彼の息子によって美術アカデミーに贈られ、大規模な修復工事をしてから1980年に開館した。

そしてこのモネの家と庭園は4月〜10月末の間だけ一般公開されており、広大な庭には美しい花が季節ごとに咲き、和を感じさせる日本庭園の池には睡蓮が浮いている。

クロード・モネおすすめ書籍

私がすすめる本は西洋絵画の巨匠(1)モネだ。
この本はモネが描いた名作が画集になって紹介されている。

私がすすめるもう一冊の本は、モネ NBS-Jだ。
この本はサロンの成功から始まったモネの画家としての道が、どのように切り開かれていったのか紹介され、カラー図版と共にモネの人生を知ることができる。

順風満帆ではなかったクロード・モネの人生

自分の絵が中々認められなかったモネの人生は最初から順風満帆ではなかったかもしれない。

だが、自分の絵を追求し続けた彼はすばらしい画家ではないかと私は思う。そしてモネの絵はこれからも人々に感動を与え、評価され続けるだろう。

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