イギリスの偉人

ロザリンド・フランクリンの生涯・名言・人柄に学ぶ!道を切り開き希望を捨てない意志

画像出展:Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/ロザリンド・フランクリン)

こんにちは。以前、分子生物学の研究員をしていたmomoです。女性研究者が多くいるなかで、惜しくもノーベル賞をとらなかった縁の下の力持ちの、ロザリンド・フランクリンについてご紹介します。

ロザリンド・フランクリンとは

DNAの二重ら線構造を解明したジェームズ・ワトソン、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンスは1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
この受賞したモーリス・ウィルキンスと研究所内でDNAの解明について衝突しながらも研究していた女性がロザリンド・フランクリンであった。
この時代に女性でありながらも物理学と化学を駆使して、まだ男性社会であった研究の中で戦うという姿勢は自立した意思をもっているからこそできるものだ。
まだ日本は男性社会である、この世界でぜひ学びたいロザリンド・フランクリンの人づくりの視点は2つある。
それは
1)知識を持つこと
2)知識を奪われてもリカバリーできる心

ロザリンド・フランクリンの生涯と人柄

1)ロザリンド・フランクリンの生涯

イギリスの物理学者であり、この物理学の知識を生かして結晶学の基礎を作った女性である。
1920年7月25日に生まれ、1958年にこの世を去った。
15歳の時に研究者になりたいと志をもっていたが、この時代のイギリスはまだ女性が仕事や学業に関して発展的な考え方ではなかった。
しかし、ロザリンド・フランクリンはあきらめずセント・ポール女子高である、この時代に理科を享受する学校に入学し学んだのち、ケンブリッジ大学に入学した。
その後、ノリッシュ研究室にはいり、イギリス石炭利用研究機構で助手として働いた。
イギリス石炭利用研究機構は、自由に研究できることとロザリンド・フランクリンの女性かつ研究熱心な特性が合い石炭についての研究を1947年まで行い論文も発表した。
次に、パリの国立中央化学研究所の研究員として働きX線結晶回折について学んだ。
1951年は、ロンドン大学でX線結晶構造回折装置の立ち上げを行い、DNA結晶構造に関しても着手し始めた。
その後、ウィルキンソンも着任したが、ロザリンド・フランクリンとはDNAに関しての意見が多く衝突されていた。
1962年にノーベル生理学賞・医学賞をワトソン、クリック、ウィルキンソンが受賞したため受賞できなかったが、彼女は結晶構造解明のために防護服を着用せずX線の照射実験を行っていた。
それが起因となり死亡した。

2)ロザリンド・フランクリンの人柄

研究者になりたい、とくに物理学を志していた女性は今ではめずらしくなかったが、女性は家庭に入るべきとかんがえられていた時代のイギリスで自分の道を自分で切り開く女性はとても稀であり、優秀であれば男性研究者にとっては脅威でしかなかったはずである。
そこで、イギリス石炭利用機構を最初のステップとして、自分の道を切り開き論文を発表することで自分の地位を気付いた女性研究者はこの時代にとって宝だといえる存在である。
彼女はノーベル賞をえられる女性研究者だった。ノーベル賞がとれる年まで生きていてほしかったものだ。

ロザリンド・フランクリンの生き方・名言から学ぶこと

ロザリンド・フランクリンの名言として
「科学と日々の生活を分けて考えることはできません(Science and every day life cannot and should not be separated)」を挙げたい。
これは、現代の理科離れが進んでいる学生にとっても、必要な言葉だろう。
ふとした日常生活の中にも、科学が日潜んでいることをわかってもらいたいユーモアのセンスも持ち合わせた女性ならではの言葉だ。

このことを幼いころから知っていた彼女は、日々の生活から科学のおもしろさ疑問をしり、自分で解きたいという欲求をもつようになった。
一方で、学べない環境を危惧するようになり自分で高校と大学の道を切り開いている。

研究をワトソンに盗まれたことで、彼女の研究人生が終わったとは思わずダバコモザイク病の解明をする新たな研究人生を自分で切り開いた。
周囲は二重らせん構造の解明にわきたち、彼女は一方的に悪役となった。
だが、DNAではなくそれよりも繊細で分解しやすい一本鎖のRNAを研究するという高い志をいつまでも忘れなかった。

これは、現代のビジネスマンにとってもどのようなことがあっても自分にとって不利なことをされたとしても、自分の信念を持ち続けされに違うアプローチをすることで世間の目を変える必要をもつことを役に立つだろう。
そして、その違うアプローチは日々の生活の中からつまり、日々学ぶことで必ず道は開けることができるということで、ぜひ仕事でも取り入れていきたい。

ロザリンド・フランクリンをしのぶ

このロザリンド・フランクリンは、知識、実績もありながら驚くほど周りからの評価は悪評であった。
それは知識や研究ができすぎるがゆえに、男性社会で恐怖を持たれていたということだ。
だが、このロザリンド・フランクリンがこの世界でいきていけた理由の一つは家族の理解があったからだろう。
この時代のイギリスで理科目を学ぶことのできる女子高に入学を認めた父親は、日ごろのロザリンド・フランクリンの様子を観察し彼女に希望を見出したのではないだろうか。
希望を捨てず、日々の生活の中に科学を見出しまじめに生きてきた娘に希望をこめた父親、そしてロザリンド・フランクリンの家族の理解があって彼女はやり遂げることができた。
二重らせん構造発表の際には、ウィルキンスにより二重らせん構造のデータを盗用させたというあらぬ誤解で周囲からはヒステリックな女性といわれていたが、勤勉で自分の研究にはまっすぐな女性であることがわかった。
これは、ロザリンド・フランクリンを知る人が、周囲に誤解を解くように動いていた。
二重らせん構造の方が脚光を浴びたが、この周囲の支えたロザリンド・フランクリンの自尊心をたもてていた。
亡くなった人間にはノーベル賞を受賞できないため、ロザリンド・フランクリンじゃ受賞できなかった。

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