ヨーロッパの偉人

アレクサンドロス大王の生涯と人柄、小国から世界を制覇した功罪と彼を作りあげたもの

こんにちは。じぇむずです。歴史は過去からの膨大なビッグデータ。今回はアレクサンドロス3世です!

 

アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)イントロダクション!

世界史を学んでまず知らぬ人はいない、という古代マケドニアの偉人アレクサンドロス。

余りに広大な版図をたった一代で切り従え、東西融合したスケールの大きな文化を創出させた。

 

あっという間に興り、またあっという間に消えていった刹那のヒーロー。

数多くの逸話が語り継がれた類稀なる魅惑の王。

理性と知性、勇猛を兼ね備えた理想的男性像。

見果てぬ野望の下に世界を蹂躙した戦慄の大侵略者。

 

人々の幻想と現実が交錯する中、彼は王子という重責に生まれ、早くに父を暗殺で失い、はるかに壮大な旅路へと出た。

 

生死を共にする仲間たち。

容赦なく次々に襲い来る強敵たちとの絶え間ない死闘。

そして、新たなる出会い。

そこに生じる避けがたい軋轢と葛藤。

 

やがては……。

 

人が興り、消えてゆくということ。

 

彼はいったいどこから現れ、どこへ向かうのか。そして我々は。

 

これは世界というものに挑んでいった無数の人間と自然によって織りなす「現実のドラマ」である。

アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)の生涯と人柄

1)アレクサンドロス大王の生涯

マケドニア王国では正式にアレクサンドロス3世。

一般的にアレクサンドロス大王、アレキサンダーなど。

 

紀元前356年ギリシャ北方にて台頭しつつあったマケドニア国王ピリッポス2世と母オリュンピアスの間に生まれる。

 

幼少期はギリシャを代表する哲学者アリストテレスに教わる。

 

紀元前336年父ピリッポス2世が暗殺されると、嫡男アレクサンドロスは王位を継ぎ、たちまち国内のそれに伴う混乱を抑え、反旗を翻した都市国家テーバイを鎮圧し、再びギリシャに覇を唱えた。

 

間もなく全ギリシャの宿敵アケメネス朝ペルシア帝国へ出征を開始。

グラニコス川の戦い、イッソスの戦い、ガウガメラの戦い、などに相次いで勝利し、ペルシア帝国を征服。

さらにソグディアナ・インドまで侵攻する。

 

世界史上チンギスハン・ティムールに次ぐ広大な版図を征服。

バビロンに帰還後、紀元前323年熱病にかかり「この帝国は最も強きものへ」と言い残し急死する。享年32歳。

 

彼の死後、帝国は分裂。彼の遺族や配下たちによる骨肉の“ディアドコイ(後継者)戦争”始まる。

 

 

2)アレクサンドロス大王の人柄

強い肉体と精神力、弁舌がうまく、理知的で勇猛。

まさに絵に描いたような“ギリシャ的理想の男性像”。

 

ただ、こういった軍人や政治家など、指導者として忘れてほしくないのは、彼はそれだけ多くを奪い、傷つけ、殺したということ。

ともすればこういった者は英雄として祭り上げられやすいが、その点までフラットに考えた方がいい。

 

それを差っ引いても彼の特質として挙げられるのが“被征服者への寛容性”

彼は征服した人材や風俗を積極的に取り入れ、また妻として迎えた。

 

一夫多妻自体も旧時代の男のエゴだろう、という意見もあるだろうが、そうやっていろいろな視点から見た方がいい。

 

ために彼は長く自身を支え続けた“保守派”の家臣・将校らに不満がたまり、度々付け狙われる。

ただ、彼の為した大事業がギリシャ世界とアジア世界の融合を生み、遠くわれらの日本にまでその文化の影響を及ぼしているということは間違いがない。

 

アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)から学ぶ3つのこと

アレクサンドロス大王の雄大でとても人間らしい魅力に逸話から迫る

常識にとらわれない大胆不敵さ。どうしようもない問題をまるで違った視点から解決!

かつて小アジアにあったゴルディアスの結び目。

“世界の覇者”でなければ絶対にほどけないという。

まだペルシアに侵略途上にあったアレクサンドロスは剣で一刀両断!

結果見事“世界の覇者”となった。

 

強引!でもなぜか魅力あふれる

エジプト、シーワのアモン神殿を訪れ、巫女に強引に神託を迫り、

「あなたは本当に負けない人ですね」

と言われて、

「私はその一言が聞きたかったのだ」

と喜び勇んだ。

 

脚色をされているのかもしれないが、なんとも魅力的な逸話。

ともかく味方士気の鼓舞・結束を高めるのが狙いだろう。

桶狭間直前の信長にも似た逸話がある。

 

どうしても多くの人は権威やブランドに弱い。

人を動かしたいのなら時に非常に有効な手段。

ただ、なんのためにそこまで人を動かしたいのかを忘れてはいけない。

また、本当にそれが真をついているのかを気にかけて動いた方がいい。

 

何が本質かを忘れない!窮地において吐いたアレクサンドロスの名言

マケドニア勢5万弱に対し、ペルシア勢数十万。

ガウガメラの決戦前夜、自陣営の周囲におびただしい敵のかがり火を見て、「これは夜襲しかありません」とおじけづく配下らに、

「私は勝利を盗みに来たのではない」

がっちり本気でやりあって相手に「こちらの勝利」を見せつけなければ「真の勝利」を得られぬ、と踏んでの名言。

この一戦の勝利でマケドニアの優勢は決定的となり、巨大なペルシア帝国はついに自壊へと走る。

 

忘れてはならない。縁の下の力持ちあっての最強軍隊!

どうしてもアレクサンドロスはその一人の英雄像が独り歩きしがちだが、彼の強力なファランクス(重装密集陣)部隊は父ピリッポス2世の代に編み出したとされ、どこよりも長い槍を持たせ、リーチで圧倒!

この辺りは信長的発想力。

 

アレクサンドロスが継いだマケドニアが他のどのギリシャポリスも、数で圧倒的に勝るペルシアをも粉砕できたのはこうして父以来鍛えあがられていた精強の将軍と兵隊、軍整備あってのもの。

 

退くを知る。誇大な夢想家が見せた温情。

アレクサンドロスは本気で“世界の果て”が見たくてどこまでも征服の手を広げていったが、ある老兵が「もう兵は誰一人進むことができない。

これ以上進むならアレクサンドロスあなた一人で進まなければならない」と命を惜しまず訴えると、アレクサンドロスはそれを従容と受け入れ、全兵をまとめて帰還の途に就いた。

 

あのまま進んでいれば、アレクサンドロスは、マケドニアは、歴史は、どうなっていたのだろう。

あるいはより早々と矛を収めていれば。

名将に駿馬あり!その名は「ブケファラス」

古今東西において名将には駿馬というものがセットとして語り継がれる場合が多い。

聖徳太子と黒駒。

前田慶次と松風。

項羽と騅。

呂布・関羽と赤兎。

アレクサンドロスの場合おそらく西洋史でもっとも名高い「ブケファラス」。

彼は自分の暴れる影におびえているのだ、と見抜いたアレクサンドロスは彼の鼻を太陽に向け、支えてやった。

誰の言うことも聞かない暴れ馬がアレクサンドロスとはたちまち息が合い、人馬一体に世界中を駆けめぐる。

この繊細な機転が多くの人を魅了し、あれだけの大事業を成し遂げさせたのかもしれない。

アレクサンドロスまとめ

アレクサンドロスは夢が多い。

それは個人の夢であり、民族の夢であり、国家の夢であり、男の夢であり、人間の夢だ。

 

が、忘れてはならないのがその“夢のあと”。

確かにあの時、テーバイを叩き、ペルシアに攻め入らねば、あの誇り高いギリシャ諸ポリスらと結託して反抗していた可能性があり、マケドニアも生存権がかかっていた。

 

が、敵も味方も含め、あまりに多くの町や都市が破壊され、人々は奪われ、傷つき、殺された。

彼はあっけなく熱病に斃れ、その後継をめぐって広大な帝国はたちまち四分五裂し、一族や諸侯らが骨肉の戦いを延々と繰り広げた。

 

我々は物語を好む。

が、冷静に見極める理知性を心しておきたい。

彼もまた我々と同じ一個の人間。

長短合わせ持つ。

 

実際に彼の選択で何がどのように推移していったのか。

 

アレクサンドロス、

父ピリッポス2世、

不遇をかこっていたという母オリュンピアス、

狭隘だが博識の高師アリストテレス、

共に戦ったセレウコス、

プトレマイオス、

最愛の親友で旅半ば倒れたヘファイステオン、

謀反の嫌疑をかけられ粛清されたフィロータス、

パルメニオン、

クレイトス、

カリステネス、

異民族から妻となったスタテイラ、

ロクサネ、

そして子でありながらあえない最期を遂げたアレクサンドロス4世、

ライバルのペルシア大王ダレイオス3世、

不屈のソグド人スピタメネス、

有名無名を含め、あまりに多くの人が自然が動き、大きな現象としてひとくくりとなった。

それが「アレクサンドロス」。

 

忘れてならないのは我々一人一人が歴史に関与していないわけではないという真実だ。

我々皆が生み出したものが歴史だ。

アレクサンドロスはアレクサンドロス一人で何も成し遂げられなかった。

アレクサンドロスに意思を与え、彼を動かした。彼に便乗し、賞賛し、抗戦し、反逆し、伝説としたのは紛れもない我々だ。

さあ、我々もアレクサンドロスと共に旅に出ようか。

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