画像出展:Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/ダビデ)
ダビデとは
ダビデは、かの有名なミケランジェロ作「ダビデ像」のモデルともなった、古代イスラエルの第二代王様で、賢王ソロモンの父でもある。
華やかな人生を送ったと思われるかもしれないが、実は生涯、様々な人間関係に悩まされた人でもあった。
現代人として会社での人間関係の悩みや自分の弱さに飲み込まれないための、素晴らしい模範である。
今回は
- 1)上司の嫌がらせに自制を示し友好関係を築く
- 2)大きな失敗から立ち直るために仲間に頼る
- 3)偉い立場でも謙虚で自制心を示す
の3点を挙げていこう。
ダビデの生涯と人柄
ダビデの父エッサイ(イングランド:オール・セインツ教会)
1)ダビデの生涯
ダビデは、古代イスラエルで西暦前1100年ごろに生きていた。当時、イスラエル国家は王制が出来たばかりで、1番目の王様とはなんの血縁関係もなく、羊飼いとして生きていたが、神様に遣わされた預言者により、第二代王様として任命された。
2)ダビデの人柄
ダビデとゴリアテ
上記のように、当時王様とは何の血縁関係もなかったことや、勇敢さなどの素晴らしい特質ゆえに、王様に仕えている間、激しく憎まれることとなった。
現代でいう、上司からいじめられる、という図である。
しかしそんな中、彼は王様を憎むということはなかった。自分が王様を殺す権限はないということを理解しており、王様を殺す千載一遇のチャンス到来の時も、そうしなかった。
のちにそのことを知った王様からは、ダビデが正しい、と和解の意を示したという。
また、その後王様になってから、彼は自分の部下の奥さんを奪い、しかもそれを知られないようにその部下を殺すということまでしてしまう。
物凄い悪人になってしまったが、秘密に出来るとタカを括っていた。
しかし、ダビデの崇拝する神様から遣わされた預言者により、悪事が発覚。その時のダビデは悪人ではなく、全く謙虚である。格下の相手から悪事をバラされるという、プライドズタズタの状況にもかかわらず、むしろ更生されるための方法を仲間から謙虚に受け入れ、王様としてさらに立派になっていく。
その後、王様として長年、イスラエル王国を治めていくことになるダビデ。
しかし王様として生涯、裏切りや、敵意にさらされていた。
その中の大きな一つは、息子アブサロムからの裏切りである。
愛する息子から裏切られたダビデは、王宮を後にして逃亡生活を余儀なくされる。
その逃亡生活の中、前王の親族に出会う。
彼はダビデが逃亡中なのを見て嘲り、石すら投げてくる。
傷心の中のダビデにはキツすぎる仕打ちだ。
しかしこの時もダビデは全く抵抗しない。
もちろん彼には戦って勝つための軍隊は持っていたが、そうしなかった。
王様として権力も戦力も、もちろん勇気もある中で、ここまでされてもその人を許せる、素晴らしい精神力である。
その後、彼は息子との戦いに勝利し、王様として戻ってくる。結局一生トラブルがありつつも、王様として務めをしっかりと果たして生涯を終えるのだった。
ダビデの生き方・名言から学ぶこと
グイド・レーニ『ゴリアテの首を持つダビデ』ウフィツィ美術館 1604年頃
1)殺されそうになっても、相手を殺すことは「考えられないことです!」と言う。
前王サウルから憎まれ、何度も殺されそうになり、逃亡生活をしなければいけなかったダビデ。
こちらは何も悪いことはしていないのだから、サウルを憎むことは当たり前といえば当たり前である。
しかし、逆に彼を殺せそうな時には、殺させてほしいと訴える部下を抑え、それは「考えられないことです!」と話す。
やられたらやりかえす、ではなく、むしろ物事を穏便に済ますために行動していた。
その結果、そのことを知ったサウルは、感動して、ダビデを殺すために追うのはやめると宣言する。まさに、悪に善を返す行動。
社会では不公平は当たり前、上司から嫌がらせを受けることも多いかもしれない。
しかし、そんな時、仕返しをして一瞬スッキリしても、結局は後味が悪く、上司との関係は修復されることはないだろう。
むしろ、嫌なことをされても相手に親切にしていれば、相手は理解を示してくれるかもしれない。自分の行動次第で、これからの環境は良くなる可能性を秘めているのだ。
2)偉くなっても、大きな悪事を認め「罪を犯しました」と述べた後、しっかり行動を改めた。
例え歳をとっても、大きな役職についても、失敗は誰にでもあるものである。
しかし、年齢を重ね、部下が出来ると失敗は認めにくくなり、人のせいにしたりする事で、さらに問題は大きく難しくなりがちだ。
ダビデも、王様になってから、大きな悪事をしたことがある。
部下の奥さんを奪い、それを隠すためにその部下を殺したのだ。
大犯罪者である。見事に隠せたと思っていたダビデだが、結局、神様によって悪事がバラされる。
でだが、罪を認めなかったり、人のせいにはしなかった。悪あがきせず、すぐに、「罪を犯しました。」と認め、与えられた罰を受け、その後見事に更生したのだ。
自分が決まりの悪い思いをすることも辛い状況もすべて受け入れ、人として成長することのなんて偉大なことか。
その後もずっと信頼される王様だった。結局、失敗も認め、仲間と成長していく人は誰からも信頼されると言うことがわかる。
3)挑発されても「彼をかまわないでおきなさい」と、自制心を示す。
権力を持つと、何にでもすぐ怒りがちである。
他の人からどこかの分野で下に見られることに我慢できないことが多くなる。
権力がなくても、自分が忙しい状態だと、些細なことにイライラしてしまう。
しかしダビデはそうしなかった。
王様だが、息子に裏切られ逃亡するという傷心の時に、敵から石を投げられ嘲られても、穏やかさを保っていた。普通キレるところである。部下にも「倒しましょう!」と言われたが、「かまわないでおきなさい」と諫めるくらいだ。
これは、彼が、自分の権力、武力にものをいわせるという考えがなかったからだ。私も、自分の自信のある分野でも、謙虚に人の言うことに耳を傾け、冷静に意見を受け止める自分でありたいと思う。
ダビデのゆかりの地・書籍
私は、ダビデの、生涯ずっと謙虚なところが本当に素晴らしいと思う。
今の時代は、とにかく、やられたらやりかえすとか、怒ったら素直に怒った気持ちを表す、とか言いがちだ。
もちろんスッキリすることも多いだろう。
ただ、考えなければいけないのは、その後、なのだ。ダビデの行動は、その点、その場の自分の気持ち優先、ではない。その時どう行動したら、長い目で見てどう自分に返ってくるか、を考え、そこに自分の立場や名誉という観点を含めないのだと思う。
その結果、自分が悪くなくても穏やかさを保ち、結局は良い方向に物事が動く。自分が悪い時は、謙虚に認め、その結果、自分の成長や仲間からの信頼を得ている。それが結局は満足する生活につながるのだ。
ダビデの生涯は聖書に描かれている。最近出た、「新世界訳」聖書は読みやすく、宗教書というより、満足出来る生活の方法を探すのに最適だ。
信仰という日本人にとって馴染みにくいものが土台ではあるが、実用書という面で読んでみても面白いと思う。
今回はダビデの生涯のほんの一部しか語れなかったが、他にも、ゴリアテを倒す時に示した勇敢さ、ここまで謙虚な彼がやってしまった誤解や失敗への、相手側の素晴らしい対応などなど、彼を取り巻く人々は非常に魅力的で、ぜひ全体像を知っていただければと思う。