こんにちは。ヒストリカルライターじぇむずです。
今回はルー・ザロメを語ります。
(ページ中の画像はルー・ザロメのイメージです)
ルー・ザロメがわかる名言から
『愛されなかったということは生きなかったことと同義である』
そんな名言を遺した、かつて“ハインベルクの魔女”と呼ばれた女性がいた。
彼女の名は「ルー・ザロメ」。
ニーチェ。リルケ。ハウプトマン。フロイト…。
ルー・ザメロは、世界の人文界に華やぐこれら「天才」たちとただならぬ関係になり、彼らの名を世界になさしめる偉業を堕胎させたといわれる。
なぜ、彼らはそろってこのひとりの女性に惹かれたのか。
どのようにルー・ザメロは彼らと渡り合ったのか。
そして、彼らは何を揺り動かされ「天才」となったのか。
彼女はいったい何者なのか。
ルー・ザメロは、19世紀のロシア生まれ。
あくなき探求心。自由に軽やかに “真理の森から森”へ、渡り鳥のごとく、祖国を離れ、時代とともに激動するヨーロッパの各地を転々とした。
魂の処女性。そして、熟れるごとに彼女はいよいよ女として“あらわ”になってゆく。
たくましく、そして、大きく……。
すでに“女性の社会進出”と叫ばれて久しい昨今。
その目指すべき本質とはいったいどういうものなのだろう?
私はその理想像の一人として、彼女にいたく惹かれるものがあってならない。
ルー・ザメロの生涯と人柄
1) ルー・ザロメの生涯
本名ルイーズ・フォン・ザロメ。結婚名ルイーズ・アンドレアス・ザロメ。
一般的にルー・ザロメとして通っている。
1861年ロシア、サンクトペテルブルグにてユダヤ人系ロシア将校の娘として生まれる。
数多い兄弟の中、唯一の女児であり、父親や兄弟たちに幼少期大変に愛されて育った。
やがて、地元の革新系神父であるヘンドリック・ギロートに見込まれ、旧態に満足しあえない彼らはそろって祖国を出奔することになる。
ただ“魂の処女性”からか、間もなくルーはギロートの下を去り、スイスの大学に籍を入れる。
そんな最中に知り合ったのが、パウル・レーとフリードリヒ・ニーチェ。
彼らは彼女の類稀な知性と、恐るべき貪婪な探求心に惚れこみ、やがてそろって“新三位一体”なる共同生活を試みる。
ニーチェは彼女を“真に後継者として”そして、“魂の共同事業者”として彼女を物にせんとするが敗れる。
そして、間もなく、自死への思いにも煩悶しながら、ついに完成させた魂の大作が『ツァラトゥストラ』。
こうして図らずも“意を遂げた”はずのレーも彼女のいよいよと大きくなる貪婪さを到底満足させること叶わず、ついに一人“自死”を遂げる。
イラン系の血を引く歴史学者フリードリヒ・カール・アンドレアスに思いつめられ、自分の胸を突いてまで求婚されて、仕方なくルーは彼の妻となる。
そういった微妙な空気の中出会ったのが、まだ無名20そこそこの「ライナー・マリア・リルケ」。
両者はたちまちのうちに互いに惹かれあい、アンドレアスも交えて奇妙な三人同棲の関係を営む。
ルーとリルケはルーの祖国“ロシア”をも共に旅し、リルケは完全に覚醒し、どんどん大きくなってゆく。
しかし、二人はその旅も終わりごろからすれ違いが起こり始め、次第に疎遠となってゆく。
その後もルーは“世界の知の屋根”を渡り歩き、ドイツの偉大な演劇作家ハウプトマン、さらには近代心理学の巨人フロイトらと、ただならぬ関係を築き、動乱の第一次大戦、ヴェルサイユ体制下、やがて、台頭してゆくナチスドイツの足音を聞きわけながら、1937年2月5日、その生涯を閉じる。享年75歳。
2) ルー・ザロメの人柄
彼女を語るうえで絶対不可欠なのは“天才たちを呼び覚ます”その不思議な力である。
当時の最高の知識層の中でもまれて得た確かな“素養”、どこまでも満足を知らぬ知と真理への“探求心”。
自由で、移ろいげで、それでいて少女としては大変に初々しく、また大人の女性としては飾らぬ気品を凛と備えながら、大変に強く、優しい母性を兼ね備えていた。
彼女の成長に合わせてみるルー・ザロメの逸話8つ!
ルー・ザメロの幼少期
学校では誰ともなじめず、いつも孤高であった。
みんなと仲良くというのも一つの生き方であることに違いはないが、それがすべてではない。ルー・ザメロは幼くしてあえて「孤高」を選んだ。
召使いがルーに意地悪でこんなことを言った。
「聖夜にこの家のあずまやを訪ねた老夫婦がいらっしゃいましたんですけどね。間に合ってます、とそのままお返ししました。そしたら、朝扉を開けてみると、そこに二人は溶けてなくなってたんです」
これを聞いて、敬虔だったルー・ザメロは罪の意識にさいなまれてベッドの中で“神”に問いかけた。ただ、なぜかいつもなら聞けるはずの“神”からの返答は何もなく、絶望のあまりもう“神”を信じなくなってしまった。
- 思いがけないことが「きっかけ」になるもの。絶望もまた力だ。
ルー・ザメロとニーチェ
ニーチェはよほどルーのことがぞっこんだったらしい
自分の知に感化させ、ちょっと姑息な手まで使ってものにしようと企んでいたようだ。
私は『ツァラトゥストラ』を読んでいると、「これはルーに語り掛けているのではないか」と感ぜずにおれない場面がいくらかある。
ニーチェとレーとルーで三人でモンテ・サクロ(聖山)を登った帰り、三人で写真を撮った。
レーが前に立ち、ニーチェが車を牽き、その台車に乗ったルーが鞭を握っている。
ニーチェの発案らしいが、彼は「これはわれわれの図式そのままだ」と大層気に入っていたということである。
- 天才とは言え、中身の何から何まで天才ではない。かえってこんな欠点だらけの人間が「どうやって」天才になったのかが大事。
ルーはニーチェのことを“知の巨人”としては大変に尊敬していた
だが、まだ若い彼女には“知の魂の処女性”がそれ以上の彼を受け入れることができなかったといわれる。
ちなみに当時ルーザメロは20歳そこそこ。レーが30代半ば。ニーチェは40近い。
ルー・ザメロと犬猿の仲、ニーチェの妹エリーザベト
ニーチェの妹エリーザベトは相当に癖の強い女。ルーが圧倒的な「開放派」だとすると、エリーザベトは圧倒的「保守派」。
何かにつけて“現実”を“踏みにじり続ける”ルーのことが許せず、さらに兄への独占欲、狂信的な「ユダヤ人排斥主義」、利己栄達心と絡み合って「ことごとに」恐ろしい邪魔だて工作をする。
ルーを“魔女”扱いする主格。行く先々であることないことルーの文句を吹聴して回る。
ルーがナチスに目を付けられる大いなる原因の一つともなってしまう。
ちなみに、彼女は勝手に兄フリードリヒの思想をナチス寄りに捻じ曲げて売り込んだ。
ただ皮肉にも兄の偉業がこれほど鮮明に現代まで語り継がれているのは彼女のそのなりふり構わぬ宣伝工作の賜物でもある。
※いつどこの世も「嫉妬」は恐ろしい。
ただ何が実となり毒となるかは短期的に判断はできない。
リルケを世話したルー・ザメロ
リルケはルーより14歳も年下。いかに詩才に目覚めたとはいえ、それだけでは“とても食ってはいけぬ”と踏んだのか、ルーはリルケが教授職でやっていけるようにさりげなくほのめかしてやっている。
- いかに相手が才覚にあふれているとはいえ夢見がちな相手に“そっと”生きやすいように諭してやる。その愛情の深さ、間の入れ方は見事。
リルケはさすがにルー、ニーチェなどの系譜を継いでいるせいかその詩も“骨太”。
詩だけでなく、ものすごく面倒見がよく、繊細で、彼の人柄がわかる“書簡”もおすすめ。
- 才にもいろいろある。詩だけでも“力強い”“美しい”“共感できる”などなど。ただ“骨太”な言葉に秘められた重みというものは誰もが知ってほしい。他にも宮沢賢治・仏陀・ニーチェ・老子・ソクラテスなど。
ルー・ザメロとフロイト
もうお互いかなり熟して出会ったのでさすがに“大人の付き合い”。時に師弟として、時に医師と患者として、時に同志として、また時に異論者として、互いに認め、切磋琢磨しあった。
※なぜ彼らは“わかり合える”のか。
「天才を天才たらしめた」蠱惑的な女性ルー・ザメロ
こうして天才たちとの出会いをおおく記したが、その陰で彼女の独特の妖艶さによって自殺未遂、あるいは完遂したものまでいる。
いずれもひとかどの学者、埋もれた知の逸材、繊細な未来の知のホープ、といった面々である。
この歴史には無数の“魔性の女”と言われる女性たちがいる。
ただ、そんな中でもこういったタイプはかなり稀な部類である。
さらに、彼女はそのごく選ばれた中でもひときわ“異彩”を放っている。
「天才たちの鼓動を知る女」
「天才たちと鼓動を同じくできる女」
「天才を天才たらしめる女」
ここに実にルーらしい言葉を最後に一つ紹介しておく。
『愛されなかったということは生きなかったことと同義である』
「ルー・ザロメ」を知りたい!という方へおすすめ本2冊
『ルー・ザロメ 愛と生涯』[著]H・F・ペータース(ちくま文庫)
濃密に、また程よい長さに纏めた彼女の波乱の一生涯記。
『ルー・ザロメ回想録』[著]ルー・アンドレアス・ザロメ/[訳]山本尤(ミネルヴァ書房)
ルー自身による回想録。彼女の人柄を類推するにはうってつけ。