日本の偉人

田中角栄の生涯・人柄・名言から学ぶ!稀代の政治家が示した真の人心掌握術

こんにちは、普段は普通の会社員、tanokunです。好きな時代は奈良時代なのですが、今回は時代を超越する政治家「田中角栄」の生涯・人柄・名言などを紹介します。

田中角栄とは

長岡鉄道社長の頃の田中角栄

田中角栄は戦後最も国民の支持を集めた総理大臣として、「日本列島改造論」を打ち立てた。

高速道路を始めとする道路網の整備・新幹線開通を始めとする交通網の整備・電話回線を始めとする通信網の整備等、国民生活の水準を上げるさまざまな施策を行った。

が、後に世紀の汚職事件「ロッキード事件」で総理大臣経験者でありながら逮捕されるという仰天の事態を引き起こす事になった。

その人格は語られる人によって違い、豪放磊落という見方もあれば非常に繊細で人の心の機微を察知することに長け、情に厚いという見方もある。

田中角栄の名言は数々あるが

人間は、やっぱり出来損ないだ。みんな失敗もする。
その出来損ないの人間そのままを愛せるかどうかなんだ

この名言に私は1番感銘を受け、この言葉からも滲み出る彼の魅力は「ありのままのその人を見つめ、見抜き、受け入れられる度量を持っている」ところにあると思っている。

そして、今を生きる私達が是非学びたい田中角栄の人づくり3つの視点…

  • 1)人を信頼し、信頼した責任を負う覚悟を常に持っている度胸
  • 2)人の悲しみに寄り添える深い共感
  • 3)人の心に深く刻まれる弁舌とカリスマ性

である。

田中角栄の生涯と人柄

『文藝春秋』32巻16号、文藝春秋新社、1954年10月)に掲載された田中角栄

1)田中角栄の生涯

田中角栄は1918年5月4日、新潟県の農家に生まれた。
7人兄弟であったが早逝した長兄以外、男子は角栄だけであった。
祖父母が農業を営んでいたが父親は事業を手がけており、この事業の失敗で家業が傾き、角栄は母が寝る間も惜しんで働き続けている姿を見ながら育つ。
この母の姿が角栄の人間形成に多大な影響を与える。

19歳で建築事務所を設立し、政党への献金を通じて選挙への出馬を勧められ、28歳で故郷新潟から出馬。
県境の三国峠を切り崩し、雪に苦しむ故郷の人々を助ける事を公約にしたが、この時は落選。
翌年再び立候補し、当選を果たす。

戦後間もないこの時期に政治家として一歩を踏み出し、戦後の日本の経済の発展の礎になり、総理大臣にまで上り詰め、まさに昭和と共に歩んだ田中角栄。

一級建築士の資格も持つ彼ならではの「戦後日本の建築論」とも言うべき「日本列島改造論」。
交通網を整備し日本列島を繋ぎ、道路網を整備して首都圏との往来を容易にし、物流を盛んにし、日本の経済力を高める。

「約束は必ず守る 守れない約束はしない」のが田中角栄の信条であり、賛否両論の大渦巻であった日本列島改造論を推し進めるべく強力なリーダーシップを発揮し、
彼により現在の新幹線や高速道路があると言っても過言ではない。

稀にみるリーダーシップと実行力で戦後最大の総理と言われた田中角栄であるが、1974年に起きた金脈問題で内閣総辞職に追い込まれる。
その2年後に起きた米国航空機メーカー「ロッキード社」による全日空への航空機売込みにおける5億円の受託収賄罪により秘書と共に逮捕される。

全日本空輸が購入したロッキード社のL-1011トライスター

空前の政治スキャンダルに、連日田中角栄を糾弾するニュース・記事が続き、ある意味戦後で最も政治が身近に感じられたように思う。

田中角栄は戦犯の如き扱いであったが、最近は、元側近の著書などで真相が明らかになってきており、事実は事実であるが足元をすくわれ陥れられた結果であるとの見方も出てきており、名誉回復の一助になっている。

政界を退いても隠然たる影響力を持ち続けていた田中角栄であるが1985年、脳梗塞に倒れ、言語障害が残り、以後政治活動は不可能になる。

そして1993年12月16日、肺炎のため75年の生涯を閉じる。ロッキード事件の刑事被告人のまま死亡した為、総理大臣を1年以上経験したものに叙される勲章等は、残念ながら与えられなかった。

2)田中角栄の人柄

幼少期に父親の事業の失敗で進学を諦め、最終学歴が尋常小学校卒業である事、母が家計を支えるために「寝ているところを見たことがない」と角栄が言うほど働き詰めの母を見て育った。

自分も19歳で起業しのし上がってきた、いわゆる「ハングリー精神」の固まり。
決断力・実行力に富み、人の心の機微を察する能力に長け、貧乏な人もそうでない人も、学歴のある人もない人も、等しく親しみを持って接する事が出来、人心の掌握を「術」ではなく「人柄」で出来る。

彼に接した人はその魅力に圧倒され、彼に人生の方向性を定めてもらった人も多いという。

田中角栄の生き方・名言から学ぶこと

1)田中角栄の「ありのままの人を愛する精神」

田中角栄は、自らに学歴がない事をコンプレックスにしており、同時に行動力の源にもしていた。

学歴がない事は実際は彼にとってはプラス要素であり、人を見下すような所がなく、幼少期に極貧生活を味わっていることで忍耐強さを身につけており、学歴はなくとも頭脳は明晰であり、端的な言葉で人の心を捉える才能があった。

ありのままの人間を愛することの出来る彼は、自身も飾ることのない人柄で、印象的な話として「祝い事には遅れても良いが、葬式には真っ先に駆け付けろ。本当に人が悲しんでいる時に寄り添ってやることが大事だ」と言い、

葬式から一週間経った頃に「最初の花が枯れる頃だ 遺族の悲しみも募るだろう 新しい花を届けてやれ」と言って花を届けさせたというのがある。

このように接してくれる人間がいたら、皆心服するのも当然である。

2)田中角栄の「類まれなるリーダーシップ」

今の政治家には皆無だが、田中角栄のリーダーシップは類まれなるものがあり、私が田中角栄に心酔する所以もここにある。

1962年、蔵相に就任した時のスピーチ「出来る事はやる、出来ないことはやらない しかし全ての責任はこの私が負う 以上!」
は伝説のスピーチと言われており、このスピーチでエリート官僚達が彼に傾倒したという。

発言には間や勢いなど、惹きつける要素はいくつかあると思うが、田中角栄のスピーチは彼の人柄が、端的な表現の中に滲み出ている事で聞く人を高揚させるのだろう。

こんなスピーチや演説が出来る人は今の政界には一人としていない。
そして「言った事は必ずやる」というシンプルではあるが実行するには難がある信条を、彼は忠実に遂行する姿勢を崩さない。
こうした姿が人心を掌握する事につながるのであろう。

田中角栄のゆかりの地・書籍

これまで述べてきたように、田中角栄のような政治家は、今の世には一人もいないと言い切れる。

小沢一郎は田中角栄が非常に目をかけていた人物であるが、彼も私に言わせれば「匂わせ」であり、何かやりそうな雰囲気「だけ」であり、カリスマ性も実行力も弁舌も田中角栄には遠く及ばない。

田中角栄にはここで述べた以外にも数多くの逸話、名言がある。
というより日頃の発言がすべて「名言」といっても過言ではない。

日頃の発言が「名言」となるのは常に情報にアンテナを張り、人との会話の端々にも「相手が何を考えているか」「自分がこう言ったら相手はどう思うのか」など瞬時に考え抜き、研ぎ澄まされた無駄のない表現で相手に分かりやすく…しようと思ってなかなか出来る事ではない。

失言で就任直後に辞任する大臣、現職大臣の尊大な発言、田中角栄が見ていたらどう思うだろうか?
田中角栄のようにはとてもなれないが、せめて「嘘なく人に接する」ところは彼に学びたいと思う。

相手は「自分の鏡」と言われる。
嘘なく接すれば嘘のない気持ちが返ってくると信じたい。

田中角栄に関する書物は数多くあるが、端的な言葉で人の心を捉えてきた角栄らしさが感じられる「田中角栄100の言葉」は、ひとつとして無駄な部分がない。
1日1つずつの言葉を繰り返し読む、といった読み方も出来るので、明日はこういう事を私も実践してみよう、少しでも田中角栄の心に近づいてみよう、と前向きな気持ちになれるのでオススメである。
稀代の政治家の名言に是非親しんでみてもらいたい。

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