日本の偉人

「山本五十六」新潟県民だけでなく皆から愛され尊敬される偉人

トゥルーデ夫さん (男性・40代前半)
トゥルーデ夫さん (男性・40代前半)
軍人として活躍しながらも、誰よりも戦争に反対していたと言われる日本の軍人「山本五十六」。新潟県民だけではなく皆から愛される偉人を紹介します!

知識の深さ、冷静な判断力、魅力あふれる人間性を持ちながら、艦隊を指揮する立場まで上り詰めた彼はどんな存在だったのか?

彼の残した「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」という有名な格言は、時代を超えた今でも通じる普遍性を持っている。

エピソードを聞くかぎり欠点など無いんじゃなかろうかと思う人も多く、山本五十六の欠点を探ろうと彼のことを調べる人がいたとしても、その過程で欠点の10倍以上の長所や人間味溢れる性格、高潔さを見せつけられることになるだろう。

事実ギャンブル好きでもあったという非常に人間くさい面も持っていて、しかも強かったとあればエピソードには事欠かない。

彼を知り、人間「山本五十六」のファンになってくれる人が増えるのであれば、同じ新潟県出身の自分としてもこれほど嬉しいことはないだろう。

山本五十六とは

生まれや職業

1884年(明治17年)の4月4日、新潟県古志郡長岡本町玉蔵院町にて旧越後長岡藩士・高野貞吉の六男として生まれ、当時父親の年齢が56歳だったので「五十六(いそろく)」と名付けられた。

生来から負けず嫌いだった五十六は戦争の時代に生まれたゆえの宿命で軍に所属することとなり、信念を持っていて人としても軍人としても優秀だったため様々な人間的逸話をのこしつつ数々の武勲をあげたことで偉人とたたえられていて、今でもそのファンは多い。

名字が「高野」から「山本」に変わったのは結婚などが理由ではなく、1915年(大正4年)断絶しかけていた山本家に養子に入り継いだことによるものである。

海の軍人としてそのほとんどを過ごしたが、当時の戦争中、周りが見えなくなっていた日本軍の中で数少ない「現状を見据えることができた人物」だった。

知見も深く当時の戦況、日本の状況、開戦前のアメリカの圧倒的な物量による彼我の戦力差を冷静に分析し、戦ったら確実に負けるであろう事を見抜いていた。

そのことを上層部に進言するも受け入れられることはなく、結果として日本は太平洋戦争に参戦し、真珠湾攻撃によってアメリカの逆鱗に触れることとなる。

1943年4月18日乗っていた戦闘機が撃墜され59歳で亡くなった。

五十六の戦時中の地位や名声など

「連合艦隊司令長官」を2度つとめ、最終的に「海軍大将(将官の最高位)」まで上り詰めた人物である。

にもかかわらず自ら渡米した時アメリカの豊かさと日本との物量差を肌で感じ、極めて冷静な視点と現実的な判断でアメリカとの会戦を反対した人物でもある。

また同盟を結んでいたドイツからも勲章を送られており、それはドイツ人でも160人程度しか受賞しておらず、外国人でもらったのは山本五十六のみであるとか。

真珠湾攻撃の発案者とも言われており、物資が乏しく人も手段も無い当時の日本が唯一効果を上げられそうな現実的方法であったのは間違いないだろう。

個人的には山本五十六の性格からして「宣戦布告なしに真珠湾を奇襲」することまで発案したとは思いづらく、後のテレビ番組による検証などで語られたようにヒューマンエラーによる伝達ミスが原因ではないかと私個人は思っている。

敵国であったアメリカからも恐れられていて「国民や軍に圧倒的影響力のある山本五十六の故郷を跡形もなくなる程攻撃すれば、軍も戦意喪失するだろうと考え、長岡市を空襲のターゲットにした」というコメントが、軍関係者のインタビューで語られていた。(もちろん長岡に戦争に関わる工場や科学研究所があったという理由もある)

五十六の人柄とそれに関するエピソード

常に真摯で、部下や友人に慕われ、また上官に対しても媚びへつらわず信念を曲げずに接する強い心を持っていた。

上官と将棋を指したとき、上官の付き人に「接待将棋をする(わざと負ける)」よう持ちかけられたが「部下との戯れで負けることはあっても、目上の人に手を抜いて負ける方が失礼である」と真剣に勝負し上官を負かしたというエピソードがある。

山本五十六の格言

山本五十六と言えば「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」という格言がおそらく一番有名で、これは「現代でも子供から、社会人、老若男女を問わず通じる教育方法」だと思っている。

人に何かを教えたい、させたいのであれば「言葉だけで説明しても伝わりにくいのでまず自分が手本を見せて、それがどういう意味を持つのかどういった理由でそれが適しているのかをかみ砕いて説明し、実際に行動に移させて体験させることで重要さやコツを学ばせ、上手にできたのならきちんと褒めてやらないと後の行動に繋がらない」という、理屈だけでなく人にある感情も理解した上で他人にものを教えることの難しさ、大切さ、その方法を短くまとめた名言である。

感銘を受けるエピソード、親しみの湧く一面

確固たる信念を持ち、一本気ながらも堅物に終わることなく、相手に応じて柔軟に対応できる傑物だったように思える。

渡米する際の船の中で「得意の逆立ちを手すりの上で披露しては皆がハラハラする様を楽しみ、また別の特技を披露しては皆を楽しませた」とか、コーヒーに砂糖をいっぱい入れる様子を指摘されたときには「仮想敵国のアメリカの物資を目一杯使ってやるんだ」という冗談を返せるウィットにも富んだ人物だったようだ。

またコーヒーの砂糖のエピソードから分かるように大変な甘党だったようで、「虎屋の羊羹」を贈られると大喜びし「飴もなか(あんこの代わりに水飴の入った最中)」も好んで食べていて製造元の「渡辺あめや」には礼状を贈るほどだったらしい。

渡辺あめやの飴もなかには今でもその時のエピソードに関するしおりが入っているそうだ。

そういったことから、偉い人にもかかわらず親しみやすい人物だったということもあり、いまだに人気があるのも頷ける話である。

山本五十六を知ることができる場所

新潟県長岡市の長岡駅からすこし西に生家があったが空襲で焼失してしまい、現在は「復元された家と山本記念公園」があり、それに隣接される形で「山本五十六記念館」がある

同市の「如是蔵博物館」は山本五十六に関する資料、母校であった「阪之上小学校 伝統館」にも書簡などが置かれている。

没後元帥となり皆に神格化されるほど尊敬されていたので、生家跡に「山本神社」を建設しようという動きがあったらしいが、山本五十六をよく知る人達は「彼は神様扱いされることを嫌っていたので、そんなことをしても彼は絶対に喜ばないだろう」と説得され、実際に神社が建てられることはなかった。

私の個人的な山本五十六愛

「偉人」というと恐れ多さからこちらが萎縮してしまいそうだが、山本五十六に関するエピソードを聞く限り甘党で非常に人間らしい性格でもあったことから「上司や教師だったとしたらこの人の下について行きたい」「親しい仲だったらそばにいて色々なことを学んでみたい」と思わせてくれる人である。

同県出身と言うことで親しみを感じていることも大きな理由の一つだ。

ちなみにゲームのキャラクターではあるが五十六がモデルになった「鬼畜王や戦国ランスの山本五十六」も、能力、キャラクターの性格共に好ましく、愛用していたことを付け加えたい。

まぁ本来の山本五十六信者やファンに「一緒にするな!」と怒られそうではあるが。

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