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細菌学の父・北里柴三郎の信念・名言から学ぶ!熱意と信念を持って厳しい社会を生き抜こう!

タク
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こんにちは。普段はサラリーマンをやっているタクです。今回は偉大な細菌学者、北里柴三郎(きたさと しばさぶろう)を紹介します。

北里柴三郎の生涯と人柄

北里柴三郎は医療の進歩に多大なる影響を与えた日本を代表する偉大な学者である。
彼の功績がなければ、現在の医療の進歩は相当遅れていたことであろう。

北里柴三郎の名言に「熱と誠があれば、何事でも達成する」という言葉がある。
北里柴三郎は多くの歴史的な発見をしたが、その研究人生は決して順調ではなかった。

この名言と名言が生まれるバックグランドには、現在を生きるビジネスマンである私たちも学ぶべき重要なメッセージがあると思う。

まず、北里柴三郎の生涯について簡単に紐解いていこう。

北里柴三郎の生涯、破傷風菌の培養、抗毒素も発見

北里柴三郎は1853年、現在の熊本県阿蘇郡に生まれた。
1875年、東京医学校(現在の東京大学医学部)に入学し、1883年に医学博士を取得した。

その後、東大で助手をしていた1885年にドイツ・ベルリン大学に留学し、細菌学の権威であるコッホの元で研究を重ねた。
コッホは結核菌やコレラ菌を発見した学者である。

そして1889年、北里柴三郎は世界で初めて「破傷風菌」の培養に成功した。
破傷風は嫌気性菌の仲間で、酸素がある環境では発育できない菌である。
技術が進歩した現在でも特殊な装置が必要だが、北里柴三郎は100年以上昔にその破傷風菌の培養に成功したのである。

また、北里柴三郎は破傷風菌を発見しただけでなく、その治療に使用する抗毒素も発見した。

これは、動物に破傷風菌を少しずつ注射しながら、動物の血液中に破傷風菌に対する抗体を作り出す技術である。

この技術のおかげで、これまで適切な治療法がまったくなく致死率が高かった破傷風が助かるようになったのである。

また1984年、ペストが流行していた香港に向かい、黒死病と呼ばれ恐れられていた感染症の原因であるペスト菌も発見した。

1914年北里研究所を設立し研究に没頭する傍ら慶応義塾大学に医学部を開設、無給で働き慶応義塾大学医学部の発展に尽くした。

1923年には「日本医師会」を設立、初代会長として医療の進歩、特に病気を未然に防ぐ「予防医学」の分野で非常に大きな功績を残したのである。

北里柴三郎の人柄、信念と人情の男

北里柴三郎はドイツ留学中ひたすら研究に没頭し、下宿先と研究室以外の道を知らないほどだった、と言われている。

日本に戻ってからも偉大な業績を上げたが、順風満帆な学者人生ではなく、さまざまなトラブルにも見舞われた。

たとえば脚気。

脚気は当時、細菌による感染症だと考えられていたが、北里柴三郎は脚気はビタミン不足が原因であることを突き止めた。

この説は当時の上司である東京大学の教授と意見が対立する結果であり、それゆえ政府から非常に冷たい仕打ちを受けたのである。
それでも北里柴三郎は自分の信念を曲げることなく、自身の研究の成果を信じていた。
現在脚気は、感染症ではなくビタミン不足であることは明白である。

一方、北里柴三郎は大変な人情家であったことも知られており、赤痢を発見した志賀潔などの弟子たちは尊敬しながらも親しみをもって接していた、と言われている。

また、自分の受けた恩を忘れない人情家でもあり、かつて自分を援助してくれた福沢諭吉のために自分を犠牲にして働いた記録も残っている。

北里柴三郎の信念・名言から学ぶ!

北里柴三郎の名言に「熱と誠があれば、何事でも達成する」というセリフがある。
北里柴三郎は大学時代何度か留年し、決して抜群に成績の良い生徒ではなかったようである。

しかし、「熱」をもって研究に没頭し、破傷風菌の培養と治療法の確立、ペスト菌の発見、予防医学の進歩に貢献した。
特にペスト菌の発見と予防は日本での黒死病の伝搬を防ぎ、多くの命を救う結果となった。

現在の日本の医療は世界でもトップクラスだが、もし彼がいなかったとしたらここまでのレベルにはなっていなかったことだろう。
それは世界の医療のレベルを底上げしたことにもなるのだ。

そして「誠」、自分が「熱」を持って積み重ねた研究により発見した事実を信じた。信念を持ち続けたことでそれまでの説を打ち破ってきた。

「脚気の原因が病原菌ではない」という発見は、彼のおかれている立場を非常に悪くし、当時の自分の上司だけでなく国までも敵に回した。

自分の意見を曲げずに貫き通した結果、一時的に彼の生きがいでもある研究も満足にできなくなり、彼にとってそれは非常につらい出来事だったであろう。
しかしそのおかげで、現在脚気に悩まされる人はほとんどいない。

自分が今やるべきことを熱意をもってやり続ける。そして自分が正しいと信じたことは貫き尽くす。
北里柴三郎の信条、これは私たちも見本にしたい生き方なのではないだろうか。

日本を代表する北里柴三郎

北里柴三郎は日本を代表する学者であり多くの功績を残した偉大な人物である。
しかしその研究人生は順風満帆ではなく、たくさんの試練があったという。

現代を生きる私たちにも、彼の考え方から学べることはたくさんある。
ビジネスにおける情熱をキープするモチベーションにもなるのではないだろうか。

最後になるが、愛知県にある歴史博物館明治村には今回紹介した北里柴三郎の功績が多数展示されている。
東海地方に遊びに来た際は、ぜひ一度立ち寄ることを強くお勧めする。

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