日本の偉人

平賀源内の生涯・人柄・業績・名言から学ぶ!好奇心を持ちチャレンジする重要性,

くまちゃん
くまちゃん
専業主婦のくまちゃんと申します。日本の歴史が好きなのですが、時代に大きな影響を与えた人よりも少し変わった人物の功績に特に興味をもっています。私がそうなったきっかけが平賀源内を知ったことです。その平賀源内の人生に生涯や発明についてご紹介します

エレキテルを発明した平賀源内

平賀源内の名を最も知らしめているものはエレキテルの発明だ。
しかしその才能をエレキテルだけで語るのではあまりに物足りない。

多種多様なことに興味を持ち、実際にそれを自分のものにしてきた、まさに天才と言って良い人物である。

平賀源内が天才となりえたのは、3つの強い要素があったからだ。

  1. 常に好奇心を持っていること
  2. 他人になにを言われても自分の信念を持つこと
  3. 無理だと思わずにチャレンジすること

これらは現代人が成功を収める為にも必要とされる重要な要素ではなかろうか。

平賀源内の生涯と人柄から学ぶ!

平賀源内の生涯

平賀源内は江戸時代の中期、1728年に高松藩(現在の香川県さぬき市)に生まれた。
幼いころから天才少年として噂になっており、13才の時に藩医から本草学や儒学を学んでいる。

人を驚かすことが好きだった平賀源内ではあるが、この早い段階から広く知識を身につけていったことが生涯における多彩な発明に影響を与えたのではなかろうか。

長崎に留学、蘭学を学ぶ

24才の時には藩の名で長崎に留学して蘭学を学ぶ。
知的好奇心が旺盛な源内にとってこの経験が大きな影響を与えたことは想像に難くない。

日本初の博覧会を開き、脱藩、全国をまわる

発想も柔軟性に富んでおり、1757年には日本初の博覧会となる薬草の物産展を開催しており、それを図鑑にするなどしたことで注目を集め始める。

本草学者として有名になっていた源内であるが、その好奇心を藩内で抑えることは不可能で、自由に全国を見て回れるように33才で脱藩をしている。

その後は鉱山の採掘や石綿の開発、洋画の技法の取得などジャンルを問わずにあらゆるものを発明、取得していく。

誤解から殺人、獄中死

エレキテルを発明たことで栄華を極めるが、江戸でささいな誤解から人を切り殺してしまい、その後獄中死を迎えることになってしまう。

解体新書で有名な杉田玄白と親交があるなど、多くの学問や人間に影響を与えながら非常に寂しい最期であった。

平賀源内の人柄

とにかく好奇心が旺盛で、興味を持ったことは自分でやってみなければ気が済まなかった人物である。
それが今までの自分にとっても未知な分野であってもお構いなしだったのはなかなか真似が出来ないことである。

土用の丑の日を作ったとされる発想の柔軟性

発明だけではなく、発想も柔軟であり先の博覧会の他に、土用丑の日の元を作ったのも源内だと言われている。

それまでは夏にウナギを食べる習慣はなく、売れないウナギを売る為のキャッチコピーを作ったのである。

天才であるが故に他人から奇人扱いをされることも少なくなる、心のどこかで疎外感を感じていた部分は強いようである。
人間不信を極めてしまい、それが殺人の原因にもなってしまったことが残念でならない。

理解してくれる人が多い時代、場所に生まれていたらどれほどの活躍をみせていたかは想像もつかないほどの大物なのである。

平賀源内の業績・思考・名言から学ぶ!

「解体新書」は平賀源内がいたから出来た

平賀源内は自分の取得した技術を他の人に伝えていくことにも抵抗がない人材育成にも長けた人物である。

西洋画の技術を小野田直武という秋田藩士に教えているのだが、この人物は解体新書の挿絵を担当しているのである。

友人の杉田玄白がオランダ語の医学書をよりわかりやすくする為に挿絵を入れたいと考えていたところに源内が自分の弟子を紹介したのである。

自分の弟子が後世に残る大きな仕事をしたということは源内の育成能力を証明するものではないだろうか。

自分ならできると信じていた

源内の発明品は多いが、最初人々は源内が何かを作ろうとするとそんなことは出来っこないと常に否定から入ってきた。
しかし源内は自分であればできると信じていたからこそ、多種多様な発明が可能であったのだ。

寒暖計などは外国から輸入していたものを日本人でも作れないはずであると思って開発したものである。
源内の名を後世まで知らしめたエレキテルも壊れていた摩擦起電器を自分で修理しているのである。

出来ると言いきれるのは自分が天才であるとうぬぼれているからではない。

しっかりとその仕組みを理解できる知識、観察眼に裏付けされていて、外国で出来て日本人にできないはずがないとおうプライドも影響しているのであろう。

外国への憧れをもちながらも劣等感は持たなかったのも源内の大きな魅力である。

良薬は口に苦く、出る杭は打たれる習ひ

平賀源内の当時を想像するに、発明するたびに周りからの否定=苦い薬を受け取っていた、しかしそれを取り入れるべきところはとりいれ良薬としていたのではないだろうか。

また、平賀源内ほどの人物であれば、周りからは「出る杭」と見られることも少なくなっただろう。出る杭は打たれる、しかし自分は引かない、前へ進む。源内はそのような心情を持っていたのではないだろうか。

タイムスリップしてきた?平賀源内

平賀源内はその日本人離れした発想力や時代を先取りしすぎた発明からエキセントリックな人物とされる向きも多い。

その分、キャラクターとして動かしやすい部分もあり創作物で登場することも多くある。

実は私もそうだが教科書よりもテレビや小説でその名を知ったと言う人も多いのではないであろうか。

特にタイムスリップもので未来から来た人物に対してとても好意的に描かれる。
創作物からも源内の人物像に触れてみるのも良いのではないだろうか。

 

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