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春日局(斎藤福)の生涯と功績、その男よりも強くたくましい人柄から学びたい

かけるんるん
かけるんるん
こんにちは。偉人ライターのかけるんるんです。今回は春日局について

春日局(斎藤福)の知名度は近年高くなった。

歴史オタク、歴女、またドラマを通して「大奥」はメジャーとなり、人気のある歴史ジャンルでもあるからだ。

そして大奥を語る上で、春日局はなくてはならない存在である。

そんな彼女という事もあって、強いイメージや時に悪女として描かれることが多いのは致し方ないことである。

彼女の歩んできた人生を考えると、そうなった理由はよくわかるし、それを否定できない。

戦国の世を生き抜かなくてはならなかった彼女は、強くならねばならなかったのである。

これは彼女のせいではないし、彼女に「ひ弱な女性」になる余裕などなかったのだ。

そして、彼女のように人生の前半が過酷なものであろうとも、遅咲きでも人生を謳歌できたことに羨ましくまた憧れを感じる。

これだけ人生で大逆転をした人物は中々いない。

何より、決して諦めず常に進歩しようとする心構えが素晴らしい。

努力を惜しまなかったからこそ、謀反人の娘から、天下人の乳母になれたのである。

決して彼女は自身の家柄だけで出世したわけではないのだから…。

諦めず人生において努力すれば、報われると信じている。

斎藤福の生涯。「春日局」となるまで…

春日局(斎藤福)は、日本の安土桃山時代から江戸時代を生きた女性で、のち江戸幕府の将軍の為の「大奥」を創設した人物である。

初めは徳川家光の乳母として奥入りしたが、次第に力を持ち、最後はその頂点において大奥に君臨した。

彼女は1579〜1643年の64歳を生きたが、幼少期や若かりし頃は美濃等各地を転々として不遇の時代を過ごしてきた。

というのも、彼女の生まれた時代が悪かった。

戦国の世がまだ終わらない時代、武将斎藤利三の娘として生まれたからだ。

しかも父はあの明智光秀の重臣。
本能寺の変ののち、明智光秀が山崎の戦いで討たれると、
共に首をさされるという悲劇に見舞われてしまった。

諸説あるが、本能寺で首もしくは胴体がさらされたと伝わっている。

福は、生まれた当初は武家の名家として不自由ない生活であったが、その戦い以降の人生は苦難の連続であった。

兄弟は落ち武者となり、バラバラとなったし、彼女自身は、母の実家を頼って稲葉家で養育された。

美濃の清水城で過ごしたようだが、このことよりものち母方の親戚にあたる公家・三条西公国の支援が人生を左右した。

のち関ヶ原の戦いで功を立てた武将の1人、稲葉正成の妻となった彼女…。

幸せを手にしたかに見えた福だが、正成との関係はあまり良くなかったようである。

これが関係してかは定かではないが離縁して、将軍家の乳母となる道を選び、江戸城入りしたのである。

そして、見事2代将軍徳川秀忠の長子・竹千代(のちの3代将軍家光)の乳母となった。

これは、かつて公家と縁があり、公家の素養があった事や、武功を立てた武将の妻であった事が幸いしての任命であった。

斎藤福(春日局)の人柄

「貞淑な妻」におさまる女性ではなかった

福は、稲葉正成との結婚生活である問題を起こしたとも言われている。

それは夫の妾に嫉妬して、刺殺して成敗したというのである。

俗説にすぎないまでも、実際に3人の息子がいる中で離婚し、将軍家に奉公にあがる事は並大抵のことではない。

一夫多妻が許される時代に本当にそういう事をしたかはさておき、見事乳母として権力を得た点も含めれば、相当勝ち気な性格であったのは確かである。

徳川秀忠の正室お江与(お江/のち崇源院)という次期将軍の生母がいる中で、彼女が「将軍様御局」として台頭した点も見過ごせない。

本来ならお江与が権力を持つのが筋だが、乳母が力を持つという異常事態になったからだ。

ある説では、福は初代将軍徳川家康の愛妾とも言われ、それだけお江与とて手出しできない強い力を持っていた事が想像される。

ただ、お江与が豊臣秀吉の愛妾淀殿(茶々)の実の妹であったことや、淀殿の息子が豊臣秀頼であったことを考えると、決して彼女が力を持てたかは疑問が残るのも確かだ。

大阪の陣で、豊臣vs徳川といった構図があった以上、お江与は敵方の女ととれるからだ。

とは言え、秀忠に側室は基本おらず、お江与は恐妻家であったようではあるので、奥向きにおいて力がないわけではなかった。

そのことはひとまずおいておき、福はついに「大奥」を組織し、将軍家光の私的空間、いわばハーレムを形成するに至った。

彼女が連れてきた町娘、お楽の方(宝樹院)、お玉の方(桂昌院)は見事世継ぎを産み、のち将軍彼女達は生母として君臨した。

大奥は、中国や天皇家の「後宮」に近いものであったが、決定的に違うのは、その女性達の出自である。

貴族層や有力な家柄の出身者が多い後宮に対して、大奥は貴賤結婚が多かった。

のちの将軍達の正妻が公家の女性であったのは確かだが、側室の多くは決して身分ある出自の家柄の女性ではなかったのである。

春日局によって、この先例が作られたとも言える。

また将軍家の血に公家が台頭する余地を許さず、加えてより多くの世継ぎに恵まれることを優先した春日局が実理を重んじた処置とも言えよう。

それだけでなく、福は政治的にも大きな影響を及ぼした。

1629年(寛永6年)、彼女はいわば強引に御所への昇殿を果たした。

将軍家の名代、母代として、また武家の女性として、初めて天皇に拝謁した。

その時、後水尾天皇より「春日局」の称号を賜ったのである。

彼女はかつての三条西の縁を頼り、三条西公国の息子実条の養女となり体裁を整えたが、この拝謁事件は大変後水尾天皇の怒りを買った。

後水尾天皇は、退位を宣言する事態にまで発展し、その理由の一つに春日局の拝謁が大きく関係していたことがよくわかる。

他にも幕府とその政策やその横暴さに頭にきていた後水尾天皇であるが、これが決定的にしたのだ。

男性顔負け!賞賛したい斎藤福の行動力

現代ですら夫に依存する妻がいる中、この時代に自分の力で世を生きようとする姿はとても勇ましい。

しかも将軍家の乳母となる上で離縁をし、我が子よりも竹千代(家光)を何よりも優先して育てねばならない。

勿論、我が子正勝、正定、正利は、乳母子として相応の待遇を得て出世もしたが、それができる女性は限られる。

また奥向きの女主人であるお江与がいる時に関しては、長男竹千代と、次男国松との世継ぎ争いが起きた。

お江与は、いたく国松を可愛がった為、福や竹千代の地位は危ぶまれた。

しかしそれで黙っていないのが福。

伊勢参りに行くと称して、駿府城の家康に「竹千代こそがお世継ぎ」と直訴したとも言われている。

これが真実であるならば、家康と福に相当の信頼関係がある事が伺え、先の愛妾説も一定の真実味が出て来るのである。

そうして、見事家光は3代将軍として就任できたのである。

また大奥を組織したかいもあって、家光には世継ぎ、男子が多く誕生した。

それだけでなく、彼女はのちの老中となる堀田正俊といった人物らを養子に迎えて育て、幕府政治においても影響力を及ぼしたのである。

子飼いの老中を通して、政治に干渉したのである。

ちなみに、お江与が死後火葬されていることが憶測をよんでいる。

高貴な人物、とりわけ将軍家の多くの人物が土葬であったのに対して、彼女は何故か火葬であった。

火葬を避ける意味合いにはコスト的な理由もあるが、毒殺されたことをを隠す為だったのではないかと言われている…。

犯人は春日局と言われる始末。

真偽は定かではない。

斎藤福ゆかりの地:都内「春日通り」とはまさに「春日局」が由来

国道254号線の山手線内側に「春日通り」がある。

東京都文京区湯島には、麟祥院という寺があるが、そこは彼女の菩提寺だ。

彼女の法号は「麟祥院殿仁淵了義尼大姉」。

そして、その麟祥院の前の通りが「春日通り」なのだ。

またかつてこの地は、春日局が家光より拝領した土地であった為、「春日殿町」と呼ばれていたのである。

ちなみに、春日局像に関しては意外と新しい。

1989年(昭和64年)に、NHK大河ドラマ「春日局」が放映された事を記念して作られたものなので、大昔からあるものと勘違いしないように気をつけてもらいたい。

まとめ:「春日局」の功績・歴史への影響力

歴史に残る人物として、女性の名前は圧倒的に少ない。

権力者の妻子等は公的にも残りやすいが、それ以外となるぐっと減っていく。

特に、本名や経歴がしっかり残された人物は限られたものである。

江戸時代にまでなると、その数は多くなるとはいえ、政治的に影響力を持った人物は限られる。

そういった中で「春日局」が名を残した事は決して見過ごせない。

ただ単に権力を握ったわけではなく、「大奥」という新しいものを創造したことはとりわけ大きい。

また、既存の環境に満足せず、その善悪はさておき、発展しようとする精神に感服する。

戦国時代を経てきた日本において、貴賤結婚は決して珍しくなかったが、多くの町娘を将軍の側室にしようと考えた人物もそうはいない。

ましてや、それを女性が行っていたのである。

しかも、幕府と将軍の権威があったこそのものでもあるが、天皇に拝謁できた女性はまずいない。

当然幕府内においても、彼女の存在は無視できないものとなったのである。

このように、春日局こと斎藤福は、
北条政子や日野富子といった有名な悪女とは全く違う性質の歴史上の人物であったと言える。

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