こんにちは。偉人ライターのtoushです。
私が取り上げるのは、天下人織田信長。
日本で初めてバナナを食べた人と言われています。
そして、織田信長はファッションリーダーになりたかった、実は「ただのいい人」だったんじゃないかと思います。
織田信長ほど後世の人々の評価が天地に分かれる人物は日本史上に類をみないだろう。
ある人は悪魔と呼び羅刹と呼び、蛇蝎のごとく嫌い貶めるが、ある人は天から舞い降りた勇者であると崇める。
果たして彼の実像は一体どんなものだったのか、考えてみよう。
彼の事績の中でも政策面で特に有名なのは、楽市楽座の開設やキリスト教の保護だろう。
しかし楽市楽座は考えてみれば無理もないが、彼が生まれるよりも数十年単位の前に近畿地方で実施されており、
キリスト教の保護は実は当時の大名としてさほど稀有な例だったわけではなく、九州の大友などより熱心な大名がある。
信長は既存の宗教施設などもけっこう大切にしたこともわかっている。
それら以外にも有名な事績はあるが政策面での彼はけしてオンリーワンではなく、アンテナの高いむしろ取り入れ上手、というのがわかってきている。
戦史としては長篠の戦いや桶狭間が有名であるが、どちらも伝えられているような戦いではなかったというのが最近の研究でわかっている。
長篠はいうような三段打ちは無かったのがもはや定説であり、桶狭間は実際それほど両軍に戦力差は無かったようだ。
どちらも神算鬼謀の成果では残念ながらない。
つまり尾張の小国(これも実は大国だったのではとの事)から天下統一の寸前までいった出来星大名。
これが信長のについてわかっている事をまとめた妥当で客観的な評価である。
織田信長への評価…なぜそれが問題になるか
現在、この信長を評価する者の内で特に心無いものは先ほどの幻想をもって彼を非難する。
彼は日本史上稀にみる施政家でもなければ、稀代の戦術家でもない田舎者であると。
まるでいいとこなしの大名が勢力を伸ばせるのかは定かではないが、実際のところ、彼のイメージは戦後に作られてきたものである。
大衆文化が成熟し、戦国時代を扱った新聞小説や大河ドラマが隆盛を極める中で、悲運の天才、日本最初の革命家としてとかく信長は絵になった。
簡単に言うと、かっこよかったから扱われ、扱うために尚かっこうよく描かれた。
もちろん彼自身、いわゆるセルフブランディングはやっていた。
かっこいい馬を何頭も収集したりしたし、信長の兵を天兵だと相手方が思ったという記録が残る程に華美な軍装も部下にさせた。
洋風の服装を好んだりもしたし、新しい物好きで、いわば現代で言うファッションリーダーを志向していた。
しかしこれはそれこそ田舎の出来星大名が生存し伸長する為の戦略であり、弱肉強食の戦国時代、大抵の他の大名もやっていた事である。
信長への過度の神格化はやはり後世のしかもつい最近のものが大半であり、それは各作品の演出として許容の範疇でしかない。
じゃあ織田信長ってどんな人
いわゆるこれまでの天才信長像が泡と散った今、それでは信長がどのような人物だったのか改めて見直したい。
ここで信長の人物像に迫る大きな証拠と呼べるものが寧々への手紙である。
寧々とはサルでおなじみの後の太閤秀吉の妻、後の北政所である。
内容を現代語にしておおよそでまとめてみた。
寧々さま
寧々さんのいう事はよくわかる。寧々さんみたいな綺麗な奥さん(そういえばまた綺麗になったね)を持ちながら浮気をするなんて、 本当秀吉はダメなやつだと思うよ、僕の方からもちょっといっとくよ。 でも秀吉も僕の為にすごく働いていてやっぱりできる奴だよ、まじでいい旦那じゃないかな。 まあさ、せっかくいい女なんだから明るく疲れた旦那を励ましてやりなよ。 家庭がやっぱり一番だと思うよ。そうそうもらった土産のお返しはまた今度なんかいいのを探しとくよ。またね。 信長より。 |
神上司、ここに降臨である。
普通部下の妻にここまでは書かない。
しかもいわゆる祐筆という秘書がいるのだが、この手紙は直筆である。
これを書いたのは姉川の戦いよりも後の時代であるので、すでに近畿を手中に収め天下人と呼ばれだした時期。
恐るべき気遣いの人、親切すぎて少し怖い。
こうした事績は伝聞にも多く、通りすがりの村で力自慢のだれそれに優しくしたとか、貧しい障碍者に衣服を与えて近隣の村で保護するように説得したとか、
悪鬼でも天才でもない、信長=ただのいい人像を証明するエピソードは多い。
織田信長を現代に風にまとめるとエリート起業家でファッションリーダー
では信長についてもう一度おさらいをしてみよう。
信長はいろんな事に興味があって、いろいろな新しい事、良いと思うことを自分でもやってみた。
戦争は特別に得意だったとは言えないが下手であったわけでもない。
信長はお洒落に興味があって、ファッションリーダーになりたかった。
彼の天才的なイメージはまさしくテレビの話であって歴史的な事実ではない。
信長は部下の嫁さんや家族に気を使っていた。
なるほどこれは現代における超最新のエリート起業家のような姿が浮かび上がってきた。
彼は確かに特に昭和において持ち上げられすぎた、それはメディアが作り上げた幻想的な英雄であった。
しかし、実際に彼は尾張から美濃、近江、山城と次々と版図を広げていったし、本能寺の変さえなければ天下統一までできる所まで勢力を広げた。
それは天才ではなかろうとも、人並み以上の実力がないと出来る事ではないし、実際はそれに加えて、多くの家臣や民衆が彼を支えたからこそそこまでいったのだろう。
一つ一つのエピソードや評価はまた時代によって移り変わる。
しかし部下の嫁へのあの暖かい手紙が、彼が成功者である事、そしてその理由の立派な証明といえるのではないだろうか。
歴史の評価は移り変われど、織田信長の魅力は永遠なのだ。