ジョーゼフ・キャンベル(1904−1987)は、米国の比較神話学者。
「あなたの至福に従え」
無上の喜びを追求していけば、おのずと可能性は開けるという意味だ。
昨今「ワクワクを追求すること」を耳にする機会が増えたと思う。現代のそんな風潮に少なからず影響したであろう人物だ。
あのスターウォーズの誕生にも影響した人でもある。
1934年、キャンベルは米国の名門女子大学サラ・ローレンス大学教員として採用され、1972年に定年退官するまで勤める。
その間、ジョイスの大作『フィネガンズ・ウェイク(1939)』の解読本を共同出版した。
同書は、世間から奇書としてまともに扱われることのなかった。
その出版を皮切りに、はじめての単独著作『千の顔をもつ英雄(1949)』や『神の仮面(1959−1968)』シリーズなどがベストセラーに。
また積極的にラジオやテレビの講演や対談番組に出演し、ユーモアを散りばめた親しみやすい語り口で、神話の持つ現代的意義を一般市民に説いた。
キャンベルが古今東西の神話や宗教、『パルツィヴァール』などのアーサー王説話群、ジョイスやトーマス・マンなどの近代文学やショーペンハウアーやニーチェなどの思想・哲学から導き出した。
それこそ、人生を歩むうえで無上の喜びを追求していけば、おのずと可能性の扉が開いてゆく、
つまり「あなたの至福に従え(Follow your bliss)」という思想だった。
このキャンベル思想に共鳴する若いアーティストはいまだ後を絶たない。
キャンベルのすばらしさとその魅力は、
- ただ事実を羅列するのではなく、自分自身の体験にもとづいて世界各地の神話伝承のもつ意味をわかりやすく説いている
- 「あなたの至福に従え」など、普遍的なメッセージと思想
- 古い神話伝承はじつは人間存在の土台であり、生きるよすがでもある、ということを著作や講演を通じて再認識させてくれた
ことにあると思う。
みなさんもご自身の「至福に従って」、人生という名の冒険の旅をつづけよう !!
ジョーゼフ・キャンベルとは!
2017年、米国の比較神話学の碩学ジョーゼフ・キャンベル(1904−1987)没後30年を迎えた。
キャンベルの名前を知らなくても、ジョージ・ルーカスの創造した『スター・ウォーズ』シリーズを知らない人はいないだろう。
ルーカスは第1作(米国公開1977年、現在の「エピソード4」のこと)制作前、古今東西の「英雄神話」について、個人的にキャンベルの教えを乞うている。
キャンベルは少年時代、実業家の父親にたまたま連れて行ってもらったアメリカ自然史博物館で、トーテムポールなどネイティヴ・アメリカンの芸術の虜になった。
その後彼らについて書かれた本をむさぼるように読んでいくと、彼らの神話伝承と、キャンベル一家の属するローマカトリックの教えるイエスの「死と復活」といった内容ときわめてよく似ているモチーフが頻出することに気がついた。
これが、彼が神話学に興味を持ったきっかけだった。
キャンベルはコロンビア大学で学士号と修士号をとったあとパリ大学とミュンヘン大学大学院に留学した。
が、古いロマンス語の語義解釈ばかり詰めこもうとする指導教官の指導法に閉口し、「冗談じゃない」と博士号への道を蹴って、ジェイムズ・ジョイスやパブロ・ピカソ、ピエト・モンドリアンなどの先端的文学やモダンアートに親しんだ。
また終生の師ハインリヒ・ツィマーと出会って『ウパニシャッド』などのサンスクリット古典やインド神話、そして仏教にも親しんだ。
キャンベルが留学先から帰国したのは折悪しく大恐慌の真っ只中。
就職活動するも、いまで言う「お祈り」の返信をもらうばかり。
そこで一念発起したキャンベルは安自動車を駆って、東海岸から西海岸へ米国横断の旅に出る。
西海岸に到着したとき、作家のジョン・スタインベックとその友エド・リケッツらとも交遊した。
ウッドストックの森にあった小屋を借りて極貧生活を送り、やっと母校の寄宿制学校に教員として就職したのは5年後のこと。
その間、キャンベルは古今東西の文学や神話伝承にまつわる本を乱読して過ごし、後年、このときの大量の読書が、比較神話学者としての基礎になったと述懐している。
キャンベルは1934年に名門女子大学サラ・ローレンス大学に教員として採用され、1972年に定年退官するまで勤め上げた。
その間、処女作『千の顔をもつ英雄』をはじめ『神の仮面』シリーズがベストセラー入りするなど、著述家としても活躍した。
ジョーゼフ・キャベルから学ぶ3つのこと
1) この世界に「絶対」なんてものはない
キャンベルは、「あなたとあなたの神とは、あなたとあなたの夢がひとつであるのとまったくおなじく、ひとつです。
とはいえ、あなたの神はわたしの神ではありません。だからわたしにそれを押しつけないでください。
各人がそれぞれ独自の存在と意識とを持っているのですから」と述べている。
キャンベル没後30年、いまや世界は『スター・ウォーズ』の「エピソード1」ばりの、言いようのない暗黒面に覆われつつある。
それはヘイトスピーチや原理主義者による無差別テロに見られる不寛容さだ。
キャンベルはいわゆる組織宗教というものの限界を指摘しており、とりわけかつて自分が所属していたローマカトリックの閉鎖性について手厳しく批判している。
そういう意味では、彼は徹底した相対主義者・合理主義者と言える。
けっきょくだれかにとっての「神」は、ほかのだれかにとっては「悪魔」だったりするのが人の世。
そしてもっとも重要なことは、そもそも「神」なる存在はあるとかないとか、人間のことばではとうてい言えないものであり、この言語を超越した究極の存在を、とりあえず「神」と呼んでいるにすぎない。
つまりすべてはイメージ、シンボルなのだ、という点をキャンベルは繰り返し述べている。
不寛容の嵐が吹き荒れる時代、キャンベルのこのことばはますます重みを増していると感じる。
2) この世界はこのままでも十分すばらしいもの
キャンベルはまたこんなことも言っている。
「人々は、物事を動かしたり、制度を変えたり、指導者を選んだり、そういうことで世界を救えると考えている。
違うんです!
生きた世界ならば、どんな世界でもまっとうな世界です。
必要なのは世界に生命をもたらすこと、そのためのただひとつの道は、自分自身にとっての生命のありかを見つけ、自分がいきいきと生きることです」。
人はだれしも世の中をもっとよくしたい、制度改革が必要だ、これこれしかじかの法律を導入せよと言いたがるもの。
だが、それで「ほんとうによくなる」のだろうか?
わたしたちひとりひとりが以前より人間らしく、イキイキ笑顔で生きてゆけるのだろうか?
キャンベルのこたえは明快だ。
人は、己を救うことで、この世界も救える。
一見、ドラスティックに聞こえるが、よくよく考えてみればそうとしか言えない、ということに気づかされるはずだ。
3) 「生きる」ことに意味はない
キャンベルのことばでもっとも驚かされるのが、この発言だろう。
「人生に意味などありません。あなたが意味をもたらすのです。人生の意味は、それを与えるあなたしだい。生きていること、ここに人生の意味があるのです」
キャンベルに言わせれば、生命というのは、ただ「生きつづけたい」という衝動にほかならない。
たとえば庭の芝生は明日、刈り取られるからといってじゃあいま死のう、などと考えたりしない。刈り取られるそのときまで、ひたすら生きつづけようとする。
これが生命の本質。
そこになんらかの意義なり、意味なりを与えるのはほかならぬ「あなた自身」なのだ、ということをキャンベルはあらためて問いかけている。
「楽あれば苦あり」、生きることは困難の連続だ。
思うようにならないのは、だれにとってもおなじこと。
たとえ金持ちであっても、すべてを意のままに、人生設計どおりに一生を送る人なんていやしない。
もしそんな人がいたとしたら … なんてつまらない人生だろう。
キャンベルの神話を読み解く能力は、なにも神話だけにとどまらない。彼の著作を読むと、ショーペンハウアーやニーチェといった難解な哲学者の思想をも、わたしたちの身近な次元に引き寄せて語りなおしてくれる。
日本語で読めるジョーゼフ・キャンベルの本
『神話の力』(早川書房、2010)
米国の名ジャーナリスト、ビル・モイヤーズとのテレビ対談シリーズを書籍化したもの。
最晩年のキャンベルの思想がもっともわかりやすいかたちで提示されており、キャンベル神話学やキャンベルの人となりに触れたい向きにはとくにおすすめ。
『千の顔をもつ英雄』(早川書房、2015)
キャンベルが単独で上梓した処女作[初版 1949]。世界各地の英雄神話にはある一定のひな形がある、と説いたこの本は大きな反響を巻き起こした。
キャンベルの用語「モノミス」は、彼が敬愛するアイルランド人作家ジェイムズ・ジョイス最後の大作『フィネガンズ・ウェイク』から取れられている。
『生きるよすがとしての神話』(KADOKAWA、2015)
ニューヨーク市クーパーユニオンフォーラム大講堂で1958年から1971年にかけて行った一連の講演を収録したもの。
もっとも古い講演から半世紀以上が経過しているが、その講演内容の普遍性はいまだ色褪せていない。
「普通の人」なんていない
キャンベルは、彼自身の人生がひとりの「英雄の冒険」にたとえられることが多いが、キャンベル自身に言わせれば、「普通の人なんていない」。
キャンベルが古今東西の神話や宗教、『パルツィヴァール』などアーサー王説話群、ジョイスやトーマス・マンなどの近代文学やショーペンハウアーやニーチェなどの思想・哲学から導き出したのは、人生を歩むうえで無上の喜びを追求していけばおのずと可能性の扉がつぎつぎと開いてゆく、つまり「あなたの至福に従え(Follow your bliss)」という思想だった。
だれもがその「扉」を持っている。よくよく考えてみれば、「普通の人」なんてこの世界にはただのひとりもいないはずだ。