画像出典:https://www.sun-k.co.jp/tole/tole-cause/
アメリカントールペインティングの父、ピーター・オンピア。
物価の上昇、治安の悪化…人々が苦しむ大恐慌時代にニューヨークに渡った彼は、高価な素材ではなく身近にある生活用品に絵を描き始める。
その絵はどこかユニークで温かみを帯びており、日用品を使った独特な作風と豊かな色遣いは新しい物を求めるニューヨークの人々の間で徐々に人気を呼び、有名百貨店で扱われるまでになる。
自身の作品を昇華させるべく、絵を描く素材を日用品から骨董品にシフトしたオンピアは長い年月をかけ、後に「オンピア・スタイル」と呼ばれる独自のアンティーク技法を編み出した。
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ニスを塗り、研磨する
下地作りから仕上げ加工まで、地道な作業をひたすら丁寧に繰り返す事によって生み出される鮮やかで重厚な作風は、愛弟子リードに受け継がれ、オンピアがこの世を去った後も世界中のコレクターたちから愛され続けた。
モノづくりにおいて、努力は決して嘘をつかない。
良いも悪いも必ず形となって表れる。
ピーター・オンピアの作品と生き方は、日々頑張るあなたの背中を後押しし、行く先を豊かに彩ってくれるだろう。
ピーター・オンピアの生涯、作品と人柄
今回紹介するのはアメリカントールペインティングの父、ピーター・オンピアという名の芸術家だ。
彼の人物像を紹介する前に、トールペイントというものについて簡単に説明しておこう。
トールとは元々ブリキを表す言葉であり、15世紀後半のヨーロッパ、この薄い金属板に絵が描かれたのが始まりとされている。
18世紀中頃になると装飾壁画として室内を彩り、その後アクリル絵の具が普及するにつれ、アメリカをはじめとする各国で手芸として親しまれるようになる。
アクリル絵の具の特性を生かした表現や技法も考案、確立されていき、現在ではキャンバスなどの画材をはじめ木製家具や小物、陶器やガラスなどあらゆる素材に描かれ、日々の生活を彩る身近なアートのひとつとして世界中で愛されている。
そのトールペイントの普及に多きな影響を与えたとされる人物がピーター・オンピア(本名チャールズ・バーンズ)である。
1904年、ペンシルバニア州のピッツバーグに生まれたオンピアは、シカゴ芸術学院、アメリカンアートアカデミーを卒業したのち、大都会ニューヨークに出ていくことになる。
しかし当時は世界恐慌の嵐が吹き荒れる真っ只中であり、物価の上昇により苦しい生活を強いられる人々には、アートの鑑賞やコレクションを楽しむ余裕などなかったのだ。
そこでオンピアは考える。
「芸術を表現する上で、必ずしも高価な素材を使う必要はない」と。
彼は身の回りの日用品など、他の芸術家が思いもよらなかった素材に絵を描き始めたのである。コーヒーメーカーや牛乳瓶、料理鍋にケーキ皿、果ては小さなマッチ箱まで、新古を選ばず目に付くものに片っ端から描いていった。
オンピアの作品
彼のデザインのモチーフは花や鳥、果物、コミカルな姿の軍人、実在の人物であるジョニー・アップルシードやウィリアム・テルなど、バラエティーに富んでいる。
これらを描いたのは彼自身がイギリスのアンティークや絵画に多大な影響を受けた為だと言われている。
色遣いも印象的で、黄色や赤、緑など鮮やかな色を好んで使っており、特徴的な青緑は濃淡を変えて多くの作品に取り入れられている。
そんな彼の作品は仲買人を通して売り出され、徐々に人気が高まり大手百貨店にまで置かれるようになる。
流行に敏感なニューヨークの人々には、何の変哲もない生活用品に描かれた生き生きとしたデザインが目新しいものに映ったのであろう。
その後オンピアはニューヨークを拠点として活動を続けながら、アンティークが盛んなニューイングランド地方に度々足を向けるようになる。
これまでのような取りとめのない素材ではなく、骨董品を作品の土台とするためである。
骨董品にユニークなデザインを施し、その上からさらに骨董風の加工を施すことで全体の調和を図る。
豊かな色彩と温かみ、そして重厚感を合わせ持った「オンピアスタイル」の誕生である。
一つの作品の作業工程は19、費やす期間は丸2週間に及ぶ。
作品のコレクター達は「オンピアが作り上げたニス塗りの独特の味わい、重厚で豊かな色彩を作り出せる者はいない」と語る。
オンピアの師と愛弟子
絵を描く上で重要な作業のひとつに「下地作り」というものがある。
オンピアが素材としていた生活用品や骨董品は当然ながら絵を描く為のものではないため、キャンバスと比べて表面の状態や絵の具の定着が悪く、下地作りを殊更入念に行う必要があった。
一つの作品を作り出すのに多くの時間と作業工程が必要だった彼は、アシスタントを持つことにした。
そこで出会ったのが愛弟子となるワーナー・リードである。
若かりし頃のオンピアのように野心と希望を持ち、ニューヨークで創作活動を始めて間もない時期のことであった。
リードは、素材や閃きを求めてニューヨークからバーモント、マサチューセッツへと移動を重ねるオンピアと共同生活を送る。
オンピアの創作活動をサポートするリードの仕事は、素材の研磨や下塗りといった下地作りの作業ばかりであったが、ある日突然オンピアから「さあもうできるだろう?自分の絵を描いてみろ」と告げられる。
オンピアは生活を共にする中で、リードの素質や、自らと同じく地道に努力する姿勢があることを見抜いていたのかもしれない。
アーティストとしてのオンピア
自然の動物や果実、そして骨董品をひたすら観察していた事からくる考えなのか「自分の作品は何かを模倣したものである」と語るオンピアは著作権を持たず、またピーター・オンピアという名前も二人の共同作家名としていた。
自身の名声ではなく、純粋に作品の完成度を追求するその姿勢からは、芸術家でありながら職人としての一面も見られる。
オンピアはモチーフと素材の調和がとれている事、そしてそれらをいかに生き生きと描く事が出来るかということに重きをおいていた。
そして最大の特徴である仕上げのアンティーク加工は、長きに渡る修練を経て磨き抜かれた緻密な方法によって施されるのだが、彼が一体どのようなメディウム(顔料と混合する媒材)を用いて独特の風合いをもたらしていたのかは、未だに謎である。
後のインタビューで彼は「別に大したことはしていない。辛抱強く作業に打ち込むだけだ」と語っている。
ニスを塗り、研磨する。
望む結果が生まれるまで、地道な作業をひたすら丁寧に繰り返すことが、豊かな色味と重厚感を生み出すのだろう。
そんな彼の技術は、40年にも及ぶ師弟関係の中でリードに受け継がれた。
二人の作品には共に同じ名前が記されているため、師であるオンピアの手がけたものか、或いは弟子リードの作品なのか。
描かれた年代以外で判別することが大変難しく、実にコレクター泣かせの芸術家である。
オンピアの魂は死なず
重厚でありながらどこかユニークなデザインと、緻密な作業によって仕上げられた作品達は、彼がこの世を去った1979年以降も多くのトールぺインターに支持されており、現在もオンピアスタイルを学ぶことのできるセミナーなどが国内外で定期的に開かれている。
オンピアの技法はトールペイントのみならず、他の絵画やイラスト、プラモデル作りに至るまで、幅広く応用する事が出来る。
また、地道にコツコツと取り組む姿勢は、どんな物事においても着実に自身の能力を高め、望む結果を出す一助となる。
見る人の心も豊かな色で満たしてくれるピーター・オンピアの作品とその生き方は、日々を頑張るあなたの一部となり、人生を深く鮮やかに彩るだろう。